南アジアの歴史
93件の歴史的出来事
紀元前2650年頃〜前1450年頃
ドーラヴィーラの都市遺跡
インダス文明の主要都市の一つで、2021年にユネスコ世界遺産に登録。城塞・中間都市・下町の三重構造を持つ独特の都市計画が特徴。巨大な貯水槽群による高度な水管理システム、インダス文字の大型看板(世界最古
南アジア・グジャラート
紀元前2600年頃〜前1900年頃
ハラッパーの繁栄
インダス文明のもう一つの主要都市。1920年代にジョン・マーシャルらにより本格的に発掘され、インダス文明の存在が世界に知られるきっかけとなった。城塞部と下町に分かれ、統一規格の焼成レンガ、標準化された
南アジア・パンジャーブ地方
紀元前2500年頃〜前1900年頃
モヘンジョダロの繁栄
インダス文明最大級の都市遺跡。整然とした格子状の街路計画、精巧な排水システム、大浴場(グレート・バス)、穀物倉庫を備えた高度な都市計画が特徴。推定人口3万〜4万人。統一された度量衡システムとインダス文
南アジア・シンド地方
紀元前2400年頃〜前1900年頃
ロータルの港湾施設
インダス文明の重要な港湾都市。長さ約214m、幅36mの人工的な水路構造(ドック)が発見され、世界最古の造船所・港湾施設の一つとされる。ビーズ工房、金属加工場、倉庫群が出土し、交易拠点としての機能が明
南アジア・グジャラート
紀元前1900年頃〜前1700年頃
インダス文明の衰退
紀元前1900年頃からインダス文明の主要都市が段階的に放棄された。モヘンジョダロでは都市の維持管理が低下し、ハラッパーでは墓地H文化への移行が見られた。住民は東方のガンジス川流域や南方のグジャラートへ
南アジア・インダス川流域
紀元前1500年頃〜前1000年頃
アーリア人の南アジアへの移動
インド・アーリア語族の集団が中央アジア方面から南アジアへ段階的に移動・定住した。馬と戦車を伴い、リグ・ヴェーダに描かれた牧畜社会を形成。先住民との相互作用を経て、ヴェーダ文化が成立した。遺伝学的研究に
南アジア・パンジャーブ
紀元前1500年頃〜前1200年頃
リグ・ヴェーダの成立
インド最古の宗教文献で、世界最古の口承文学の一つ。1028の讃歌からなり、インドラ、アグニ、ヴァルナなどの神々への祈りと儀式の詩句を収録。口伝による驚異的な精度の伝承が数千年にわたり維持された。言語学
南アジア・パンジャーブ
紀元前800年頃〜前500年頃
ウパニシャッドの成立
ヴェーダ文献の最終部分として成立した哲学的文献群。ブラフマン(宇宙原理)とアートマン(個我)の同一性を説く梵我一如の思想を中核とする。主要な初期ウパニシャッド(ブリハドアーラニヤカ、チャーンドーギヤ等
南アジア・北インド
紀元前600年頃〜前322年頃
マガダ国の台頭
16大国(マハージャナパダ)の中から頭角を現し、北インドの覇権を握った王国。ビンビサーラ王がハリヤンカ朝を興し、首都ラージギルを建設。その子アジャータシャトルがコーサラ国やヴァッジ共和国を征服。シシュ
南アジア・ビハール
紀元前6世紀頃
スシュルタの外科医学
古代インドの外科医スシュルタが著したとされる『スシュルタ・サンヒター』は約184章からなる包括的医学書。鼻形成術(ラインプラスティー)、白内障手術、帝王切開、結石摘出など300以上の外科手術を記述。1
南アジア・ヴァーラーナシー
紀元前540年頃〜前468年頃
マハーヴィーラとジャイナ教の成立
ヴァルダマーナ・マハーヴィーラはクシャトリヤの家系に生まれ、30歳で出家し12年間の苦行の後にケーヴァラ(完全知)を得た。不殺生(アヒンサー)を最高の徳とし、厳格な禁欲と非暴力を説いた。ジャイナ教の2
南アジア・ビハール
紀元前531年頃
ブッダの悟り(ブッダガヤ)
ゴータマ・シッダールタが菩提樹の下で49日間の瞑想を経て悟り(サンボーディ)を得た場所。苦行を放棄し中道を見出した後、縁起・四聖諦・十二因縁などの根本教理を体得した。マハーボーディ寺院が後に建立され、
南アジア・ビハール
紀元前528年頃
ブッダの初転法輪(サールナート)
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)がブッダガヤで悟りを開いた後、最初の説法を行った場所。かつての修行仲間5人に対して四聖諦と八正道を説き、仏教の教団(サンガ)が誕生した。この出来事は「法輪を転じる」(ダ
南アジア・ウッタル・プラデーシュ
紀元前4世紀〜紀元4世紀頃
マハーバーラタの成立
約10万頌からなる世界最長の叙事詩。バーラタ族の王位継承をめぐるパーンダヴァとカウラヴァの対立と大戦争を描く。バガヴァッド・ギーターを含み、ダルマ(義務)・アルタ(実利)・カーマ(愛欲)・モークシャ(
南アジア・北インド
紀元前377年頃〜1017年
アヌラーダプラ王朝と仏教の伝播
スリランカ最初の大王朝。紀元前3世紀にアショーカ王の子マヒンダが仏教を伝え、以後スリランカは上座部仏教の最重要拠点となった。菩提樹の分木が植えられ、ルワンウェリサーヤ大塔などの巨大な仏塔が建設された。
南アジア・スリランカ
紀元前322年頃
チャンドラグプタによるマウリヤ朝建国
チャンドラグプタ・マウリヤがナンダ朝最後の王を倒し、パータリプトラを首都にマウリヤ朝を建国した。策士カウティリヤ(チャーナキヤ)の助力を得て権力を掌握。アレクサンドロス大王の死後の混乱に乗じて北西イン
南アジア・ビハール
紀元前3世紀〜紀元3世紀頃
ラーマーヤナの成立
聖仙ヴァールミーキ作とされる約2万4千頌の叙事詩。コーサラ国の王子ラーマが妃シーターの奪還のためランカーの魔王ラーヴァナと戦う物語。ダルマ(正義)の体現者としてのラーマ像は理想的な王・夫・息子の模範と
南アジア・北インド
紀元前3世紀〜紀元3世紀頃
サンガム文学の成立
古代タミル語で書かれた詩歌集の総称。473人の詩人による2381篇の詩が現存。恋愛詩(アカム)と英雄詩(プラム)の二大部門からなり、チョーラ・パーンディヤ・チェーラの三王朝の時代を描く。『トルカッピヤ
南アジア・タミルナードゥ
紀元前261年頃
アショーカ王のカリンガ戦争と仏教帰依
マウリヤ朝第3代アショーカ王がカリンガ国を征服した戦争。推定10万人が戦死、15万人が連行され、さらに多くが飢餓と疫病で死亡。この凄惨な結果にアショーカ王は深く後悔し、武力による征服を放棄してダルマ(
南アジア・オリッサ
紀元前2世紀〜紀元480年頃
アジャンター石窟寺院の造営
約30の石窟からなる仏教寺院群。第1期(紀元前2〜1世紀、サータヴァーハナ朝時代)と第2期(5世紀、ヴァーカータカ朝時代)に大別される。第2期の壁画群はインド美術の最高傑作とされ、ブッダの前世物語(ジ
南アジア・マハーラーシュトラ
紀元前30年頃〜紀元220年頃
サータヴァーハナ朝とローマとの海上交易
デカン高原を支配したサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)は、ローマ帝国との活発な海上交易で繁栄した。香辛料、宝石、絹、象牙をローマに輸出し、金貨やワイン、ガラス器を輸入。『エリュトゥラー海案内記』に交易
南アジア・デカン高原
127年頃〜150年頃
クシャーナ朝の繁栄とカニシカ王
大月氏の一派クシャーナ族が建てた帝国の最盛期を築いた王。領域は中央アジアからガンジス川中流域に及んだ。大乗仏教を保護し、第四回仏典結集を開催。ガンダーラ美術の黄金期を現出し、ヘレニズム・インド・中央ア
南アジア・中央アジア
320年〜550年頃
グプタ朝の黄金時代
チャンドラグプタ1世が建国し、サムドラグプタ・チャンドラグプタ2世の時代に最盛期を迎えた。古典サンスクリット文学(カーリダーサの『シャクンタラー』『メーガドゥータ』)、数学(アーリヤバタのゼロの概念と
南アジア・北インド
5世紀頃
カーリダーサの文学活動
サンスクリット文学最大の詩人・劇作家。戯曲『シャクンタラー(アビジュニャーナ・シャークンタラム)』は世界文学の傑作とされ、ゲーテが絶賛した。叙情詩『メーガドゥータ(雲の使い)』は恋人への思いを雲に託す
南アジア・北インド
402年頃
デリーの鉄柱
グプタ朝のチャンドラグプタ2世の時代に制作されたとされる高さ約7m、重さ約6トンの鍛鉄製の柱。1600年以上にわたりほとんど錆びていないことで世界的に有名。鉄中のリン含有量が高く、表面に保護膜(ミサワ
南アジア・デリー
5世紀〜1193年
ナーランダー大学の隆盛
グプタ朝のクマーラグプタ1世が設立したとされる世界最古級の大学の一つ。最盛期には1万人以上の学生と2千人以上の教師を擁し、仏教学のみならず論理学・文法学・医学・天文学を教授した。玄奘や義浄など中国僧が
南アジア・ビハール
477年〜495年頃
シーギリヤの建設
スリランカのカーシヤパ1世が父王を殺害して王位を奪い、巨大な岩山の頂上に宮殿を建設した。精巧な水利システム(噴水庭園)、「ライオンの門」、岩壁に描かれたフレスコ画(「シーギリヤの乙女」)が特徴。弟モッ
南アジア・スリランカ
499年
アーリヤバタの天文学・数学
インドの数学者・天文学者アーリヤバタが23歳で『アーリヤバティーヤ』を著述。地球の自転を正しく認識し、地球の円周を39,968kmと計算(実際は40,075km)。円周率を3.1416と近似し、正弦関
南アジア・ビハール
580年頃〜897年
パッラヴァ朝とマハーバリプラムの石窟寺院
南インドのパッラヴァ朝はカーンチープラムを首都とし、マハーバリプラム(マーマッラプラム)に壮大な石窟寺院群を建設した。「アルジュナの苦行」として知られる巨大な岩面浮彫、海岸寺院、五つのラタ(戦車形石造
南アジア・タミルナードゥ
600年頃〜1000年頃
エローラ石窟寺院群の造営
34の石窟からなり、仏教窟(1-12)、ヒンドゥー教窟(13-29)、ジャイナ教窟(30-34)の三群に分かれる。最大の見所はカイラーサナータ寺院(第16窟)で、一枚岩から彫り出された世界最大の一枚岩
南アジア・マハーラーシュトラ
628年
ブラフマグプタによるゼロの体系化
数学者ブラフマグプタが『ブラーフマスプタシッダーンタ』を著し、ゼロを独立した数として初めて体系的に定義。ゼロの四則演算規則を明示し、負の数の演算も定義した。二次方程式の一般解法(ブラフマグプタの公式)
南アジア・ラージャスターン
711年〜712年
アラブによるシンド征服
ウマイヤ朝の将軍ムハンマド・ビン・カーシムがシンド地方を征服した。当時17歳のカーシムは6千人の軍を率いてデーバルを攻略、シンドのヒンドゥー王ダーヒルを戦死させた。シンドとパンジャーブ南部がイスラム支
南アジア・シンド
783年頃〜1193年
ヴィクラマシーラ大学の設立
パーラ朝のダルマパーラ王が設立した仏教学術機関。密教(ヴァジュラヤーナ)の主要な研究・修行センターとして機能し、最盛期には108人の教授と1000人以上の学生を擁した。チベットへの仏教伝播に決定的な役
南アジア・ビハール
788年頃〜820年頃
シャンカラの不二一元論の確立
アーディ・シャンカラは32歳の短い生涯でヴェーダーンタ哲学の不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)を体系化。ブラフマンのみが唯一の実在であり、世界はマーヤー(幻影)であると説いた。ウパニシャッド・
南アジア・ケーララ
985年〜1279年
チョーラ朝の海上帝国
ラージャラージャ1世とラージェーンドラ1世の下で最盛期を迎えた南インドの海洋帝国。スリランカを征服し、シュリーヴィジャヤ王国(スマトラ)へ遠征(1025年)を行い、ベンガル湾の海上交易を支配した。タン
南アジア・タミルナードゥ
1001年〜1027年
ガズナ朝マフムードのインド侵攻
ガズナ朝のスルタン・マフムードが紀元1001年から1027年にかけてインドに17回の侵攻を繰り返した。ヒンドゥー寺院の略奪を目的とし、1025年のソムナート寺院の破壊は最も有名。莫大な財宝をガズナに持
南アジア・北西インド
1192年
第二次タラインの戦い
ゴール朝のムハンマドがラージプート連合軍の指導者プリトヴィーラージ3世を決定的に撃破した戦い。前年の第一次タラインの戦いではラージプートが勝利したが、ムハンマドは軍を再編し、騎兵の機動戦術で反撃に成功
南アジア・ハリヤーナー
12世紀末〜
スーフィズムのインド展開(チシュティー教団)
イスラム神秘主義(スーフィズム)がインドに根付いた最も重要な経路。チシュティー教団の創始者ムイーヌッディーン・チシュティー(1141-1236年)がアジメールに定住し、ヒンドゥー教徒を含む広い層に影響
南アジア・北インド
1199年〜1220年頃
クトゥブ・ミナールの建設
デリー・スルタン朝の初代スルタン・クトゥブッディーン・アイバクが建設を開始し、イルトゥトゥミシュが完成させた高さ72.5mの石造ミナレット。赤砂岩と白大理石で構成され、5層の塔身にアラビア語のコーラン
南アジア・デリー
1206年〜1290年
デリー・スルタン朝の成立(奴隷王朝)
ゴール朝のムハンマドの死後、その奴隷出身の将軍クトゥブッディーン・アイバクがデリーに独立政権を樹立。奴隷王朝(マムルーク朝)として知られ、イルトゥトゥミシュ、ラズィーヤ・スルタナ(インド初の女性君主)
南アジア・デリー
1336年〜1646年
ヴィジャヤナガル帝国の建国
ハリハラ1世とブッカ1世の兄弟が建国した南インド最大のヒンドゥー帝国。首都ハンピは最盛期に50万人以上の人口を擁し、ローマに匹敵すると称された。クリシュナデーヴァラーヤ王の治世(1509-1529年)
南アジア・カルナータカ
1347年〜1527年
バフマニー朝の成立
ムハンマド・ビン・トゥグルクの統治に反発したデカンのアミールたちが反乱を起こし、アラーウッディーン・バフマン・シャーを擁立して建国。デカン高原初のイスラム王朝としてヴィジャヤナガル帝国と南インドの覇権
南アジア・デカン
1398年〜1399年
ティムールのデリー略奪
中央アジアのティムール帝国の創始者ティムールがデリーを攻略・略奪した。トゥグルク朝のスルタン・マフムードの軍を撃破し、デリーに入城。3日間にわたる大規模な略奪・虐殺が行われ、数万人が殺害された。莫大な
南アジア・デリー
1499年頃
シク教の創始(グル・ナーナク)
グル・ナーナク(1469-1539年)がスルタンプール近郊で啓示を受け、シク教を創始。「ヒンドゥーもなくムスリムもなし」と宣言し、一神教・カースト否定・男女平等を説いた。ヒンドゥー教のバクティ運動とイ
南アジア・パンジャーブ
1510年
ポルトガルのゴア占領
ポルトガル総督アフォンソ・デ・アルブケルケがビジャープル・スルタン朝からゴアを奪取。インド洋におけるポルトガル帝国の中核拠点として「東方のローマ」と称された。異端審問所の設置(1560年)、聖フランシ
南アジア・ゴア
1526年
第一次パーニーパットの戦い
ティムールの子孫バーブルがローディー朝最後のスルタン・イブラーヒームを破り、ムガル帝国を建国した決定的な戦い。バーブル軍は約1万2千人に対し、ローディー軍は10万人と戦象千頭を有したが、バーブルは火砲
南アジア・ハリヤーナー
1540年〜1555年
シェール・シャーのスール朝とグランド・トランク・ロード
アフガン系のシェール・シャーがフマーユーンを追放しスール朝を建国。わずか5年の治世だが、行政改革に多大な功績を残した。グランド・トランク・ロード(大幹道)の整備、ルピー銀貨の統一、効率的な徴税制度、キ
南アジア・北インド
1556年〜1605年
アクバル大帝の統治
ムガル帝国第3代皇帝アクバルは13歳で即位し、帝国を北インドからデカン北部まで拡大。マンサブダール制(位階制)を導入し効率的な軍事・行政制度を確立。ジズヤ税を廃止し宗教融和政策を推進、ディーン・イ・イ
南アジア・アーグラ
1565年〜1572年
フマーユーン廟の建設
ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの妻ハミーダ・バーヌーが建設を命じた霊廟。ペルシャ人建築家ミーラク・ミルザ・ギヤースが設計し、インド亜大陸初の大規模なペルシャ式庭園墓廟となった。二重殻ドーム構造はター
南アジア・デリー
1571年〜1585年
ファテープル・シークリーの建設
アクバル大帝がスーフィーの聖者シェーフ・サリーム・チシュティーの予言により男子を授かったことを記念して建設した新都城。インド・イスラム建築の傑作であり、ブランド・ダルワーザー(勝利の門)、パンチ・マハ
南アジア・ウッタル・プラデーシュ
17世紀〜19世紀
ラージプート絵画の発展
ラージプート諸藩王国の宮廷で発展した細密画の伝統。クリシュナ伝説、ラーマーヤナ、季節画(バーラマーサー)、ラーガマーラー(楽曲の絵画化)が主要な主題。鮮やかな色彩と情感豊かな表現が特徴。パハーリー派(
南アジア・ラージャスターン
1632年〜1653年
タージ・マハルの建設
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建設した白大理石の霊廟。2万人以上の職人が約20年をかけて完成。左右対称の完璧な設計、大理石の透かし彫り(ジャーリー)、宝石象
南アジア・アーグラ
1639年〜1648年
赤い城(ラール・キラー)の建設
シャー・ジャハーンがアーグラからデリーに遷都する際に建設した新宮殿。赤砂岩と白大理石を組み合わせた壮大な城塞宮殿で、ディーワーネ・アーム(公謁殿)、ディーワーネ・カース(私謁殿)、王室浴場、庭園を擁す
南アジア・デリー
1674年
シヴァージーのマラーター王国建国
シヴァージー・ボーンスレーがライガド城で正式に戴冠し、マラーター王国を建国。ムガル帝国やビジャープル・スルタン朝からの独立を宣言。巧みなゲリラ戦術(ガニーミー・カーヴァー)で大帝国に対抗し、「山の鼠」
南アジア・マハーラーシュトラ
1675年
グル・テーグ・バハードゥルの処刑
シク教第9代グル・テーグ・バハードゥルがムガル皇帝アウラングゼーブの命により斬首された。カシミールのヒンドゥー教バラモンがイスラムへの強制改宗を逃れるために助けを求め、グルは「ヒンドの盾」として自らを
南アジア・デリー
1699年
カールサーの創設
シク教第10代グル・ゴービンド・シンがバイサーキー祭の日にカールサー(純粋な者たち)を創設。信徒に五つのK(ケーシュ=未剃の髪、カンガー=櫛、カラー=鋼の腕輪、カッチャー=半ズボン、キルパーン=短剣)
南アジア・パンジャーブ
1739年
ナーディル・シャーのデリー略奪
イランのアフシャール朝のナーディル・シャーがムガル帝国に侵攻し、カルナールの戦いでムガル軍を撃破。デリーに入城し、住民の暴動をきっかけに大虐殺を命じ、推定2万〜3万人を殺害。孔雀の玉座(タフテ・ターウ
南アジア・デリー
1757年
プラッシーの戦い
イギリス東インド会社のロバート・クライヴがベンガル太守シラージュ・ウッダウラを破った戦い。クライヴ軍は約3千人に対し、太守軍は5万人を擁したが、太守の将軍ミール・ジャアファルの裏切りにより大勢が決した
南アジア・ベンガル
1761年
第三次パーニーパットの戦い
アフガニスタンのドゥッラーニー朝アフマド・シャーがマラーター同盟軍を壊滅的に撃破した18世紀アジア最大の戦い。双方合わせて約15万人の兵力が激突し、マラーターは推定4万〜7万人の死者を出した。マラータ
南アジア・ハリヤーナー
1764年
バクサルの戦い
イギリス東インド会社の軍がベンガル太守ミール・カーシム、アウド太守シュジャー・ウッダウラ、ムガル皇帝シャー・アーラム2世の連合軍を破った戦い。プラッシーの戦い以上に決定的な軍事的勝利であり、アラーハー
南アジア・ビハール
1767年〜1799年
マイソール戦争(ティープー・スルタン)
マイソール王国のハイダル・アリーとその子ティープー・スルタンがイギリス東インド会社と4次にわたり戦った戦争。ティープーは「マイソールの虎」と呼ばれ、フランスと同盟を結び、ロケット兵器を使用してイギリス
南アジア・カルナータカ
1799年〜1849年
シク帝国の建国(ランジート・シン)
マハーラージャ・ランジート・シンがパンジャーブの分立したシク教勢力を統一し、ラホールを首都にシク帝国を建国。近代的な軍(カールサー軍)をヨーロッパ人軍事顧問の協力で整備。カシミール、ペシャワール、ムル
南アジア・パンジャーブ
1828年
ベンガル・ルネサンスの始まり
ラーム・モーハン・ローイがブラフモ・サマージ(ブラフマー協会)を設立。ヒンドゥー教の一神教的改革を唱え、サティー(寡婦殉死)の廃止運動を展開。イギリス総督ベンティンクによるサティー禁止令(1829年)
南アジア・ベンガル
1857年〜1858年
インド大反乱(セポイの反乱)
1857年5月にメーラトのインド人傭兵(セポイ)が蜂起し、北インド全域に拡大した大反乱。エンフィールド銃の弾薬包(牛脂・豚脂が使用とされた)問題が直接の引き金。デリーのムガル皇帝バハードゥル・シャー2
南アジア・北インド
1857年〜1858年
ラクナウ包囲戦
インド大反乱の中で最も長期にわたった包囲戦。イギリス駐在官ヘンリー・ローレンスの下で約1700人の英国人と兵士がレジデンシーに籠城。ローレンスは戦死したが、ヘイヴロック将軍とキャンベル将軍による二度の
南アジア・ウッタル・プラデーシュ
1858年
インド帝国の成立
インド大反乱の鎮圧後、東インド会社が解散され、インドはイギリス王室の直轄統治下に入った。1876年にヴィクトリア女王がインド皇帝(カイサル・イ・ヒンド)の称号を得た。インド担当大臣とインド総督が統治の
南アジア・デリー
1885年
インド国民会議派の結成
退職イギリス人官吏アラン・オクタヴィアン・ヒュームの呼びかけで72名の代議員が参加し結成。当初は穏健な請願運動を展開したが、次第に自治・独立を求める政治運動に発展。ダーダーバーイー・ナオロージー、ゴー
南アジア・ボンベイ
1905年〜1911年
ベンガル分割
インド総督カーゾンがベンガル州をヒンドゥー教徒多数の西ベンガルとムスリム多数の東ベンガル・アッサムに分割。表向きは行政効率の改善だが、実際にはベンガルのナショナリズム運動を分断する意図。スワデーシー(
南アジア・ベンガル
1913年〜1920年
ラーマヌジャンの数学的業績
シュリニヴァーサ・ラーマヌジャン(1887-1920年)は独学で数学を学び、3900以上の数学的結果を導き出した天才数学者。G.H.ハーディとの書簡をきっかけにケンブリッジに招かれた。整数論、連分数、
南アジア・タミルナードゥ
1913年
タゴールのノーベル文学賞受賞
ラビンドラナート・タゴール(1861-1941年)がアジア人として初めてノーベル文学賞を受賞。受賞作は詩集『ギーターンジャリ(歌の捧げ物)』の英訳版。詩人・小説家・劇作家・画家・教育者・思想家として多
南アジア・ベンガル
1913年〜
ボリウッド映画産業の発展
1913年にダーダーサーヘブ・パールケーが初のインド長編映画『ラージャー・ハリシュチャンドラ』を製作。以後ボンベイを中心にインド映画産業(通称ボリウッド)が急成長。年間約1500〜2000本の映画を製
南アジア・ムンバイ
1919年4月13日
ジャリアンワーラー・バーグ虐殺
イギリス軍のレジナルド・ダイアー准将が、平和的に集会していた約2万人のインド人群衆に対し無警告で発砲を命じた。約10分間に1650発の弾丸が撃ち込まれ、公式発表で379人が死亡、1200人以上が負傷(
南アジア・パンジャーブ
1927年〜1956年
アンベードカルと不可触民解放運動
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(1891-1956年)はダリト(不可触民)出身の法学者・政治家として不可触民差別の撤廃に生涯を捧げた。インド憲法の起草委員長として基本的人権と不可触民差別の禁
南アジア・全域
1928年
C.V.ラマンのラマン効果発見
物理学者チャンドラシェーカラ・ヴェンカタ・ラマンが光の非弾性散乱(ラマン散乱/ラマン効果)を発見。単色光が透明な物質を通過する際に波長が変化する現象を実験的に証明。1930年にインド人初のノーベル物理
南アジア・カルカッタ
1930年3月〜4月
塩の行進
マハトマ・ガンジーが78人の支持者とともにサーバルマティーのアーシュラムからダンディ海岸まで24日間の行進を行い、イギリスの塩税法に対する市民的不服従運動を開始。海水から塩を作る象徴的な行為で法を破り
南アジア・グジャラート
1936年頃
バラタナティヤムの復興
南インドの古典舞踊バラタナティヤムがルクミニ・デーヴィ・アルンデールらの努力により近代的な舞台芸術として復興された。元来はデーヴァダーシー(寺院の舞姫)の伝統であったが、イギリス植民地時代に抑圧された
南アジア・タミルナードゥ
1942年8月
「インドを去れ」運動
ガンジーがボンベイの全インド国民会議派委員会で「インドを去れ」(クイット・インディア)決議を採択。「行動するか、さもなくば死すか」(Do or Die)のスローガンで全インドに即時独立を求める運動を展
南アジア・全域
1943年
ベンガル飢饉
1943年にベンガル地方で発生した大飢饉で、推定200万〜300万人が死亡。食糧不足だけでなく、イギリスの戦時政策(ビルマ陥落による米輸入途絶、軍への優先配分、インフレ)が被害を拡大させた。チャーチル
南アジア・ベンガル
1947年〜1948年
第一次印パ戦争(カシミール紛争)
パキスタンから支援を受けたパシュトゥーン部族兵がカシミールに侵入。カシミール藩王ハリ・シンがインドへの帰属を決定し、インド軍が空輸で介入。シュリーナガル空港の確保が戦争の帰趨を決した。1949年の停戦
南アジア・カシミール
1947年8月14日
パキスタンの建国とその後の軍政
ムハンマド・アリー・ジンナーが「ムスリムの祖国」としてパキスタンを建国。ジンナーは初代総督に就任したが翌年死去。その後の政治的不安定から軍のクーデターが頻発。アユーブ・カーン(1958年)、ヤヒヤ・カ
南アジア・パキスタン
1948年1月30日
ガンジー暗殺
マハトマ・ガンジーがヒンドゥー至上主義者ナトゥラーム・ゴードセーにより射殺された。78歳。ゴードセーはガンジーがムスリムに対して融和的すぎると考え犯行に及んだ。ネルー首相はラジオで「私たちの生活から光
南アジア・ニューデリー
1962年10月〜11月
中印国境紛争
中華人民共和国がインドとの国境紛争をめぐり大規模な攻撃を開始。中国軍はアクサイチンとNEFAの両方面で快進撃し、インド軍は壊滅的な敗北を喫した。約1か月の戦闘で中国が一方的な停戦を宣言し撤退したが、ア
南アジア・ヒマラヤ
1971年3月〜12月
バングラデシュ独立戦争
東パキスタン(現バングラデシュ)が西パキスタンからの独立を求めた戦争。パキスタン軍の「サーチライト作戦」による弾圧(推定30万〜300万人の殺害)に対し、ムクティ・バヒニ(解放軍)が抵抗。インドの軍事
南アジア・バングラデシュ
1975年〜1977年
インディラ・ガンジーの非常事態宣言
ネルーの娘インディラ・ガンジー首相が憲法の非常事態条項を発動。選挙法違反の高裁判決を受けて辞任を拒否し、市民的自由を停止、野党指導者を大量逮捕、報道検閲を実施した。息子サンジャイ・ガンジーの強制不妊手
南アジア・ニューデリー
1983年〜2009年
スリランカ内戦
シンハラ人多数派政府とタミル人武装組織LTTE(タミル・イーラム解放の虎)の間で26年間にわたる内戦。LTTEの指導者プラバカランは自爆攻撃を体系的に使用し、海上戦力も保有。2009年5月にスリランカ
南アジア・スリランカ
1984年
ブルースター作戦とインディラ・ガンジー暗殺
インディラ・ガンジー首相がシク教過激派指導者ジャルネイル・シン・ビンドランワーレーが占拠した黄金寺院に軍を投入。激しい銃撃戦で数百人が死亡し、アカール・タクト(シク教の政治的権威の座)が大きく損壊。こ
南アジア・パンジャーブ
1984年12月3日
ボパール化学工場事故
ユニオン・カーバイド社のボパール工場からイソシアン酸メチル(MIC)約40トンが漏洩した世界最悪の産業事故。直後に約3800人(推計では最大1万6千人)が死亡し、50万人以上が毒ガスに曝露された。後遺
南アジア・マディヤ・プラデーシュ
1991年
インドの経済自由化
ナラシンハ・ラーオ首相とマンモーハン・シン財務相が主導した包括的経済改革。外国為替危機を契機に、ライセンス・ラージ(許認可制度)の撤廃、外資規制の緩和、国営企業の民営化、関税引き下げを実施。「自由化・
南アジア・ニューデリー
1998年5月11-13日
インドの核実験(ポカランII)
バージペーイー首相のもとでインドが5回の核実験(熱核爆弾を含む)を実施。「シャクティ作戦」と命名。CIAの偵察衛星を欺く極秘の準備が話題となった。パキスタンは2週間後にチャガイで核実験を実施し、南アジ
南アジア・ラージャスターン
1999年5月〜7月
カルギル紛争
パキスタン軍兵士と武装勢力がインド管理側のカシミール・カルギル地区の山岳拠点に浸透・占拠。インド軍は空軍の支援の下、「ビジャイ作戦」で約2か月かけて拠点を奪還。両軍合わせて約1000人以上が死亡。核保
南アジア・カシミール
2008年11月26-29日
ムンバイ同時多発テロ
パキスタンのテロ組織ラシュカレ・タイバに所属する10名の武装グループがムンバイで複数箇所を同時攻撃。60時間にわたる銃撃戦で166人が死亡、300人以上が負傷。唯一生存した実行犯アジマル・カサブは20
南アジア・ムンバイ
2014年
モディ政権の発足
ナレンドラ・モディ率いるBJP(インド人民党)が総選挙で圧勝し政権を獲得。1984年以来の単独過半数。経済改革(高額紙幣廃止、GST導入)、ヒンドゥー・ナショナリズム路線、外交の積極化を推進。2019
南アジア・ニューデリー
2023年8月23日
ISROの月探査機チャンドラヤーン3号成功
インド宇宙研究機関(ISRO)の月探査機チャンドラヤーン3号が月の南極付近に軟着陸に成功。インドは旧ソ連、アメリカ、中国に次ぐ4番目の月面軟着陸国となった。月の南極域への着陸は世界初。探査車「プラギャ
南アジア・タミルナードゥ