「世界遺産」に関する歴史的出来事

74件の出来事

紀元前2万年頃〜紀元前6000年頃
オーストラリア先住民のカカドゥ岩壁画制作
カカドゥ国立公園のウビル、ノーランジーロックなどに残る数千点の岩壁画群。X線技法で描かれた魚類・動物、ドリームタイムの精霊(ミミの精霊、ナマルゴンの稲妻男)、狩猟場面、接触期のヨーロッパ人の船まで、数
オーストラリア・カカドゥ
2万年以上前〜現在
カカドゥの岩壁画群
カカドゥ国立公園内のウビル、ノーランジーロックなどに数千カ所の岩壁画が残る。最古のものは2万年以上前に遡り、X線スタイル(動物の骨格や内臓を透視的に描く技法)が特徴的。絶滅したメガファウナ(タスマニア
オセアニア・オーストラリア北部
紀元前8000〜1500年頃
タッシリ・ナジェールの岩絵群
サハラ砂漠中央部に約1万5千点以上の岩絵・岩刻が残る世界最大級のロック・アート群。狩猟の場面、牛の放牧、儀式、ダンスが描かれ、約8000年にわたるサハラの気候変動と人間活動の記録である。「緑のサハラ」
アルジェリア・タッシリ・ナジェール
紀元前7000年頃
パプアニューギニア高地における独立的農業革命
クック農業遺跡(クック高地)で確認された、メソポタミアや中国とは完全に独立した農業の発明。約9000年前からバナナ、タロイモ、ヤムイモの栽培が始まり、精巧な排水溝・灌漑システムが構築された。花粉分析と
パプアニューギニア・クック高地
紀元前3900年頃〜紀元前2200年頃
三内丸山遺跡の大規模集落形成
縄文時代前期中頃から中期末葉にかけて営まれた日本最大級の縄文集落。大型掘立柱建物、竪穴建物跡約800棟、大型竪穴建物、貯蔵穴、墓地、盛土などが計画的に配置されていた。栗の栽培管理やヒスイ・黒曜石の広域
日本・青森
紀元前2650年頃〜前1450年頃
ドーラヴィーラの都市遺跡
インダス文明の主要都市の一つで、2021年にユネスコ世界遺産に登録。城塞・中間都市・下町の三重構造を持つ独特の都市計画が特徴。巨大な貯水槽群による高度な水管理システム、インダス文字の大型看板(世界最古
南アジア・グジャラート
紀元前2000年頃
大湯環状列石の建設
万座環状列石と野中堂環状列石の2つの大型配石遺構からなる。万座は直径約52メートルで日本最大。河原石を環状に配置し、中心に立石を置く構造。周辺に掘立柱建物跡や土坑墓が伴い、祭祀・墓域として機能した。
日本・秋田
紀元前518年頃〜前330年
ペルセポリスの建設
ダレイオス1世が着工しクセルクセス1世が拡張したペルセポリスは、アケメネス朝の儀礼的首都であった。アパダナ(謁見の間)の階段浮彫には23の属州の使節が貢物を持参する姿が刻まれ、帝国の多民族性と統一を視
ペルシャ・ペルセポリス
紀元前312年頃〜紀元106年
ナバテア王国とペトラの岩窟都市
アラブ系遊牧民ナバテア人が建設した交易都市ペトラは、アラビア半島の乳香・没薬交易とエジプト・シリアを結ぶ交易路の結節点として繁栄した。エル・ハズネ(宝物殿)をはじめとする岩窟建築はヘレニズム建築とアラ
ヨルダン・ペトラ
紀元前246年〜前210年頃
兵馬俑の造営
1974年に農民が井戸掘りの際に偶然発見した兵馬俑は、始皇帝の陵墓を守護する約8,000体の等身大の陶製兵士像。一号坑だけで6,000体以上が整然と配置され、歩兵・騎兵・戦車兵・将軍が実戦配置で並ぶ。
中国・陝西省西安
紀元前221年〜
万里の長城建設
始皇帝は北方の匈奴への防衛のため、戦国時代の燕・趙・秦が築いた長城を連結・拡張し、西は臨洮から東は遼東に至る万里の長城を完成させた。蒙恬将軍が30万の軍と数十万の労働者を指揮。現存する長城の大部分は明
中国北部
紀元前2世紀〜紀元480年頃
アジャンター石窟寺院の造営
約30の石窟からなる仏教寺院群。第1期(紀元前2〜1世紀、サータヴァーハナ朝時代)と第2期(5世紀、ヴァーカータカ朝時代)に大別される。第2期の壁画群はインド美術の最高傑作とされ、ブッダの前世物語(ジ
南アジア・マハーラーシュトラ
100年
ティムガッドの建設
トラヤヌス帝の命により、退役軍人の植民都市として完全な碁盤目状都市計画に基づき建設された。カルド(南北大通り)とデクマヌス(東西大通り)が直交する典型的なローマ植民都市で、フォルム、劇場(3500人収
アルジェリア・ティムガッド
193〜211年
レプティス・マグナの繁栄
フェニキア人が建設した植民都市がローマ期に大発展。特にこの地出身のセプティミウス・セウェルス帝(在位193-211年)の時代に大規模な建設事業が行われ、壮大なフォルム、バシリカ、凱旋門、劇場、浴場が建
リビア・レプティス・マグナ
4世紀後半〜6世紀
古市古墳群の形成
応神天皇陵(誉田御廟山古墳、全長425メートル)を中心とする大古墳群。前方後円墳・円墳・方墳など計130基以上が築造された。百舌鳥古墳群と並ぶ古墳時代中後期の王墓群。2019年に世界文化遺産に登録。
日本・大阪
4世紀〜7世紀
高句麗壁画古墳群
高句麗の貴族墓に描かれた壁画群。四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)、狩猟図、生活風俗図、飛天図など多様な主題を含む。江西大墓の四神図は東アジア壁画芸術の最高傑作とされる。集安と平壌に約100基が確認され
高句麗・国内城〜平壌
366年〜10世紀頃
敦煌莫高窟の造営
紀元366年に僧侶楽僔が最初の石窟を開削して以来、約1000年間にわたり造営が続けられた仏教石窟寺院群。約500の石窟に45,000平方メートルの壁画と2,415体の彩色塑像が残る。1900年に道士王
中央アジア・河西回廊
5世紀前半〜中頃
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の築造
全長約486メートル、日本最大の前方後円墳。周濠を含めた総面積は約47万平方メートルでエジプトのクフ王のピラミッドや秦始皇帝陵に匹敵する世界最大級の墓。築造には延べ680万人の労働力と約16年を要した
日本・大阪
5世紀〜6世紀
慶州の古墳群(天馬塚・大陵苑)
慶州市内に約200基以上が現存する新羅王族・貴族の古墳群。天馬塚(1973年発掘)からは天馬図を描いた馬鞍垂飾、金冠、金帯などが出土。皇南大塚(双円墳)からは約3万点の遺物が出土した。金冠は新羅独自の
新羅・慶州
5世紀〜1193年
ナーランダー大学の隆盛
グプタ朝のクマーラグプタ1世が設立したとされる世界最古級の大学の一つ。最盛期には1万人以上の学生と2千人以上の教師を擁し、仏教学のみならず論理学・文法学・医学・天文学を教授した。玄奘や義浄など中国僧が
南アジア・ビハール
460年頃〜
雲岡石窟の開鑿
北魏の文成帝の命を受けた僧・曇曜が武周山の断崖に石窟寺院の造営を開始。曇曜五窟と呼ばれる初期窟には北魏5代の皇帝を模した大仏が安置された。全53窟、5万1千体以上の仏像を有する。
中国・山西省大同
477年〜495年頃
シーギリヤの建設
スリランカのカーシヤパ1世が父王を殺害して王位を奪い、巨大な岩山の頂上に宮殿を建設した。精巧な水利システム(噴水庭園)、「ライオンの門」、岩壁に描かれたフレスコ画(「シーギリヤの乙女」)が特徴。弟モッ
南アジア・スリランカ
493年〜
龍門石窟の造営
北魏の洛陽遷都に伴い造営開始。孝文帝・宣武帝期に宮廷主導で古陽洞・賓陽洞などが開鑿された。唐代には則天武后の寄進で盧舎那仏(高さ17m)が完成。全2345窟、10万体以上の仏像を有する。
中国・河南省洛陽
523年
武寧王陵の築造
百済第25代王・武寧王(在位501-523年)とその王妃の合葬墓。1971年に未盗掘の状態で発見され、約5000点の副葬品が出土した。中国南朝様式の煉瓦積み横穴式石室墓で、金製冠飾り、銅鏡、中国製陶磁
百済・公州(熊津)
580年頃〜897年
パッラヴァ朝とマハーバリプラムの石窟寺院
南インドのパッラヴァ朝はカーンチープラムを首都とし、マハーバリプラム(マーマッラプラム)に壮大な石窟寺院群を建設した。「アルジュナの苦行」として知られる巨大な岩面浮彫、海岸寺院、五つのラタ(戦車形石造
南アジア・タミルナードゥ
600年頃〜1000年頃
エローラ石窟寺院群の造営
34の石窟からなり、仏教窟(1-12)、ヒンドゥー教窟(13-29)、ジャイナ教窟(30-34)の三群に分かれる。最大の見所はカイラーサナータ寺院(第16窟)で、一枚岩から彫り出された世界最大の一枚岩
南アジア・マハーラーシュトラ
605年〜610年
大運河の建設
隋の煬帝が数百万人を動員して大運河を完成。通済渠・永済渠・江南河を開削し、洛陽を中心に北は涿郡(北京)、南は余杭(杭州)を結ぶ大水路網を構築。物資・人員の大量輸送を可能にした。
中国・華北〜江南
607年頃
法隆寺の建立
聖徳太子が斑鳩宮に隣接して建立した寺院。670年に焼失後再建された西院伽藍は世界最古の木造建築群として知られる。五重塔・金堂・中門・回廊からなる非対称の伽藍配置は法隆寺式と呼ばれる。
日本・奈良
680年発願〜698年完成
薬師寺の建立
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願。金堂の薬師三尊像(国宝)は白鳳美術の最高傑作。東塔(国宝)は創建時の唯一の建造物で「凍れる音楽」と称される均整美を持つ。
日本・奈良
710年
平城京遷都
元明天皇が藤原京から平城京へ遷都。和銅3年3月10日に遷都が行われた。朱雀大路を中心軸に左京・右京が配置され、平城宮(大内裏)を北端に置く。人口は最盛期に10万人以上と推定される。
日本・奈良
710年
興福寺の建立
藤原不比等が藤原鎌足創建の山階寺を平城京に移転して建立した藤原氏の氏寺。法相宗の大本山。阿修羅像(国宝)をはじめとする天平彫刻の傑作を多数所蔵。五重塔(国宝)は高さ約50メートルで日本第2位。
日本・奈良
743年発願〜752年開眼
東大寺大仏の造立
聖武天皇が発願した盧舎那仏(大仏)の造立。像高約15メートル、使用した銅は約500トン、金は約440キロ。752年に盛大な開眼供養が行われ、インド僧菩提僊那が開眼導師を務めた。延べ約260万人が造立に
日本・奈良
751年〜774年
仏国寺と石窟庵の建立
新羅の宰相・金大城が前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺を建立したと伝える。仏国寺は精巧な石造基壇と多宝塔・釈迦塔を有し、石窟庵は花崗岩を削って造られた人工石窟に本尊釈迦如来坐像を安置
新羅・慶州
759年
唐招提寺の創建
鑑真が開いた律宗の総本山。金堂(国宝)は奈良時代建築の最高傑作の一つで、8本のエンタシス列柱が特徴。鑑真和上坐像(国宝)は天平彫刻の名品で、没後に弟子が制作した日本最古の肖像彫刻。
日本・奈良
768年
春日大社の創建
藤原氏の氏神を祀る神社。武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神の四柱を祭神とする。鹿島・香取・枚岡から神々を勧請。20年ごとの式年造替が行われ、朱塗りの社殿と約3000基の燈籠が特徴的。
日本・奈良
8世紀末〜9世紀初頭
ボロブドゥールの建設
シャイレーンドラ朝が建設した世界最大の仏教遺跡。一辺約123mの基壇上に9層の階段ピラミッド(方形6層+円形3層)を積み上げ、頂上にストゥーパを置く。壁面の浮彫は全長約5kmに及び、仏伝と法華経の物語
インドネシア・ジャワ島中部
788年
最澄による比叡山延暦寺の開創
最澄(伝教大師)が比叡山に一乗止観院(後の延暦寺)を開創。804年に入唐し天台宗を日本に伝えた。延暦寺は平安仏教の総合大学として機能し、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮など後の鎌倉新仏教の祖師たちを輩出し
日本・滋賀
816年
空海による高野山開創
空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の下賜を受け、真言密教の根本道場として開創。金剛峯寺を中心に伽藍が建設された。空海は835年に高野山奥之院で入定(即身成仏)したとされ、今も生きて修行を続けていると
日本・和歌山
9世紀末〜現在
プレア・ヴィヒア寺院とタイ・カンボジア領土紛争
クメール帝国時代に建設されたヒンドゥー教寺院。ダンレック山脈の最高所に位置し、シヴァ神に奉納された。1962年に国際司法裁判所(ICJ)がカンボジアの主権を認めたが、周辺地域の帰属は未解決。2008年
カンボジア・タイ国境(ダンレック山脈)
1053年
平等院鳳凰堂の建立
藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改め、阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立。末法思想の広まりの中、極楽浄土を現世に再現しようとした。堂内の阿弥陀如来坐像は定朝作で、寄木造の代表作。10円硬貨のデザインとしても知られ
日本・京都(宇治)
11〜15世紀
大ジンバブエの建設
ショナ人が建設した石造遺跡群。モルタルを使わない精巧な石積み技術で建造され、大囲壁(周壁の高さ約11m、厚さ約5m)は古代の石造建築としてサブサハラアフリカ最大。丘の上の王宮跡と谷間の囲壁群からなり、
ジンバブエ・大ジンバブエ
1100年頃〜1600年頃
イースター島モアイ像の建設
ラパ・ヌイ(イースター島)で約900体が制作された巨大石像モアイ。高さ平均4メートル、重さ約12.5トンだが最大のものは高さ10メートル・重量82トンに達する。ラノ・ララク火山の凝灰岩から彫り出され、
ポリネシア・イースター島
1113年〜1150年頃
アンコール・ワットの建設
スーリヤヴァルマン2世が建設したヒンドゥー教寺院。ヴィシュヌ神に奉献された世界最大の宗教建築物で、外濠の幅は190m、寺院全体は東西約1.5km×南北約1.3km。回廊の壁面には「乳海攪拌」「マハーバ
カンボジア・アンコール
1124年
中尊寺金色堂の建立と平泉文化
奥州藤原初代・清衡が建立した中尊寺金色堂。堂内外を金箔で覆い、螺鈿・蒔絵・象牙で装飾した極楽浄土の現世的表現。藤原三代(清衡・基衡・秀衡)のミイラが安置される。堂は覆堂に守られ現存する。国宝。
日本・岩手
1168年
厳島神社の造営
平清盛が平氏の守護神として厳島神社を大規模に造営。海上に浮かぶ寝殿造の社殿群と高さ約16メートルの大鳥居は、清盛の権力と美意識の結晶。平家納経(国宝)をはじめとする美術工芸品も奉納された。
日本・広島
12〜13世紀
ラリベラの岩窟教会群の建設
ザグウェ朝のラリベラ王が、エルサレムへの巡礼が困難になった信徒のために「新エルサレム」として建設した11の岩窟教会群。岩盤を上から彫り下げて作られた一枚岩の教会は、最大のものが高さ約10m。十字形平面
エチオピア・ラリベラ
1199年〜1220年頃
クトゥブ・ミナールの建設
デリー・スルタン朝の初代スルタン・クトゥブッディーン・アイバクが建設を開始し、イルトゥトゥミシュが完成させた高さ72.5mの石造ミナレット。赤砂岩と白大理石で構成され、5層の塔身にアラビア語のコーラン
南アジア・デリー
1238年〜1438年
スコータイ朝の建国とタイ文字の創始
シー・インタラティット王がクメール帝国から独立してスコータイ朝を建国。第3代ラームカムヘーン大王(在位1279-1298年頃)はタイ文字を創始し(1283年のラームカムヘーン碑文)、上座部仏教を国教と
タイ・スコータイ
1251年
海印寺高麗大蔵経の完成
モンゴル侵入の最中、江華島で16年をかけて再刻された高麗大蔵経(八万大蔵経)が完成。81,258枚の木版に1,496部6,568巻の仏典を収録。現存する世界最古の完全な大蔵経であり、内容の正確さと木版
高麗・海印寺(伽耶山)
1351年〜1767年
アユタヤ朝の建国
ウートーン王(ラーマーティボーディー1世)がアユタヤに都を定めて建国。417年間にわたり33人の王が統治した東南アジア最長の王朝の一つ。国際貿易で繁栄し、日本人町(山田長政)、中国人街、ポルトガル人居
タイ・アユタヤ
14世紀〜現在
ルアンパバーンの寺院群と托鉢の伝統
毎朝夜明け前に数百人の僧侶が列をなして托鉢に出る光景はルアンパバーンの象徴。ワット・シェントーン(黄金の都の寺院)は1560年建立のラオス最美の寺院で、独特の屋根の重なりが特徴。ルアンパバーン様式の仏
ラオス・ルアンパバーン
1394年
宗廟の建設と宗廟祭礼楽
朝鮮王朝歴代の王と王妃の神位を祀る王家の廟。正殿に19室、永寧殿に16室の神室を持つ。毎年5月に行われる宗廟祭礼は、儒教の祭祀儀礼の原型をほぼ完全に残す世界唯一の事例。宗廟祭礼楽は編鐘・編磬などの雅楽
朝鮮・漢陽
1397年
金閣寺(鹿苑寺)の建立と北山文化
足利義満が北山の別荘に建てた舎利殿。最上層を金箔で覆い、公家文化と武家文化と禅宗文化を融合させた北山文化の象徴。義満の絶大な権力と美意識を体現する。1950年に放火で焼失し、1955年に再建。
日本・京都
1405年
昌徳宮と秘苑の造営
朝鮮第3代王・太宗が建設した離宮。壬辰倭乱後は景福宮に代わって正宮として約270年間使用された。仁政殿・大造殿・楽善斎などの殿閣と、芙蓉池・不老門・演慶堂などの後苑施設が自然と調和した空間を創出。19
朝鮮・漢陽
1406年〜1420年
紫禁城の建設
永楽帝が北京遷都のために建設した世界最大の宮殿群。100万人の労働者を動員し14年をかけて完成。9999.5間と伝えられる部屋数を持ち、太和殿・中和殿・保和殿の三大殿を中心に構成。
中国・北京
1450年頃
マチュ・ピチュの建設
パチャクティが建設した王室の離宮・宗教施設。約200棟の建物、段々畑、水路、広場から構成される。インティワタナ(日時計)、太陽の神殿、三つの窓の神殿が主要建造物。精密に加工された花崗岩の石組みはモルタ
南アメリカ・ペルー
1482年
銀閣寺と東山文化
足利義政が東山に建てた山荘(後の慈照寺)。応仁の乱で荒廃した京都を避け、文化・芸術に没頭した義政の美意識の結晶。書院造・枯山水庭園・能楽・茶の湯・水墨画・花道など後世の日本文化の基盤となる東山文化が開
日本・京都
15世紀
海印寺蔵経板殿の建築
高麗大蔵経の経板8万余枚を保管するために建設された収蔵施設。窓の配置と大きさを南北面で変えて自然な空気循環を実現し、床下に調湿材を敷いて湿度を一定に保つ。近代的な空調技術なしに木版を完璧に保存する「科
朝鮮・海印寺(伽耶山)
1511年〜1920年
ヒヴァ・ハン国と奴隷交易
アム川下流域のホラズム地方を支配したウズベク系ハン国。ペルシャやカザフから捕らえた奴隷の交易で悪名高く、ロシア人奴隷の解放が後のロシアの征服の口実の一つとなった。壮大な建築群(イチャン・カラ)を残し、
中央アジア・ホラズム
1543年〜
書院文化の発展と陶山書院
朝鮮の書院は私設の儒学教育機関兼先賢祭祀施設。1543年に周世鵬が白雲洞書院(紹修書院)を設立したのが最初。以後全国に700以上の書院が建立された。退溪の陶山書院、栗谷の紹賢書院など、各学派の拠点とし
朝鮮・安東
1565年〜1572年
フマーユーン廟の建設
ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの妻ハミーダ・バーヌーが建設を命じた霊廟。ペルシャ人建築家ミーラク・ミルザ・ギヤースが設計し、インド亜大陸初の大規模なペルシャ式庭園墓廟となった。二重殻ドーム構造はター
南アジア・デリー
1571年〜1585年
ファテープル・シークリーの建設
アクバル大帝がスーフィーの聖者シェーフ・サリーム・チシュティーの予言により男子を授かったことを記念して建設した新都城。インド・イスラム建築の傑作であり、ブランド・ダルワーザー(勝利の門)、パンチ・マハ
南アジア・ウッタル・プラデーシュ
16世紀後半〜18世紀
ホイアンの日本橋と国際貿易港
16-17世紀に日本・中国・ポルトガル・オランダの商人が集まる東南アジア有数の国際貿易港として繁栄。日本人町には1,000人以上の日本人が居住し、日本橋(1593年建造とされる)は日本人コミュニティの
ベトナム・ホイアン
1598年〜1629年
アッバース1世のイスファハーン遷都と「世界の半分」
サファヴィー朝のアッバース1世はイスファハーンに遷都し、イマーム広場(ナクシェ・ジャハーン=「世界の模範」)を中心とする壮大な都市計画を実施した。イマーム・モスク、シェイフ・ロトフォッラー・モスク、ア
ペルシャ・イスファハーン
1632年〜1653年
タージ・マハルの建設
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建設した白大理石の霊廟。2万人以上の職人が約20年をかけて完成。左右対称の完璧な設計、大理石の透かし彫り(ジャーリー)、宝石象
南アジア・アーグラ
1639年〜1648年
赤い城(ラール・キラー)の建設
シャー・ジャハーンがアーグラからデリーに遷都する際に建設した新宮殿。赤砂岩と白大理石を組み合わせた壮大な城塞宮殿で、ディーワーネ・アーム(公謁殿)、ディーワーネ・カース(私謁殿)、王室浴場、庭園を擁す
南アジア・デリー
1794年〜1796年
正祖の水原華城建設
朝鮮第22代王・正祖が父・思悼世子(荘献世子)の墓を水原に移し、その周囲に新都市・華城を建設。丁若鎔(茶山)が設計を担当し、挙重機(クレーン)を用いた当時最先端の建設技術を導入。城壁の総延長は5.74
朝鮮・水原
1802年〜1945年
フエの阮朝王宮とベトナムの宮廷文化
阮朝の初代嘉隆帝(ザーロン帝)が北京の紫禁城を範に築いた大内(紫禁城)を中核とする宮殿群。太和殿が正殿で、儒教的な宇宙観に基づく厳密な空間配置。ベトナム戦争のテト攻勢(1968年)で大きな被害を受け、
ベトナム・フエ
1814年(再発見)〜1983年(修復完了)
ボロブドゥールの再発見と修復
1814年にイギリス統治下のジャワで「再発見」されたボロブドゥールは、オランダ植民地期に部分的修復が行われ、1973-1983年にUNESCOとインドネシア政府の共同プロジェクトで大規模修復が実施され
インドネシア・ジャワ島中部
1872年
富岡製糸場の開業と殖産興業
明治政府が殖産興業政策の模範工場として設立した官営製糸場。フランスの最新技術を導入し、日本の近代製糸業の発展を牽引。生糸は明治期最大の輸出品となり、日本の工業化を支えた。2014年にユネスコ世界文化遺
日本・群馬
1960年
ブラジリア建設と遷都
ジュセリーノ・クビチェク大統領の「50年の進歩を5年で」のスローガンのもと、1956年から約41か月の突貫工事で建設された計画都市。都市計画はルシオ・コスタが設計し、飛行機の形をした「パイロットプラン
南米・ブラジル
1973年
シドニー・オペラハウスの完成
デンマークの建築家ヨーン・ウツソンが設計した20世紀を代表する建築作品。貝殻または帆を思わせる白いコンクリートの屋根が特徴。1957年の国際設計競技でウツソンの案が採用されたが、建設は技術的困難と予算
オセアニア・オーストラリア
1998年〜
グレートバリアリーフの白化問題
1998年、2002年、2016年、2017年、2020年、2022年と繰り返されるサンゴの大規模白化現象。海水温が通常より1-2℃上昇すると、サンゴと共生する褐虫藻が離れ(白化)、長期化するとサンゴ
オセアニア・オーストラリア北東部
2019年
パガン遺跡群の世界遺産登録
パガン朝(1044-1287年)時代に建設された約4,000の仏教建造物のうち約2,000が現存。アーナンダ寺院(白亜の十字形平面)、タビニュ寺院(パガン最高の65m)、シュエジーゴン・パゴダ(金箔の
ミャンマー・バガン