「冷戦」に関する歴史的出来事

21件の出来事

1948-1949年
ベルリン封鎖と空輸作戦
ソ連が西ベルリンへの陸上・水上交通を全面封鎖。アメリカとイギリスは約11ヶ月にわたり航空機で食料・燃料・物資を空輸する「ベルリン空輸」を実施。約27万回の飛行で約230万トンの物資を輸送した。最盛期に
ドイツ・ベルリン
1948-1952年
マーシャル・プラン
アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが1947年6月にハーヴァード大学の演説で提唱したヨーロッパ経済復興計画。1948年から1952年までに約130億ドル(現在の約1,500億ドル相当)が16カ国に提
西ヨーロッパ全域
1949年〜1989年
セミパラチンスク核実験場
ソ連が1949年8月29日に最初の核実験を行った場所。1989年の閉鎖までに456回の核実験(うち116回は地上・大気圏内)が実施された。周辺住民約150万人が放射能に被曝し、癌・先天性異常の発生率が
中央アジア・カザフスタン
1949年4月4日
NATO設立
アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国が北大西洋条約に署名し、集団防衛機構NATOが設立された。第5条の集団的自衛権(一国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなす)が核心であった。初代事務総長イス
アメリカ・ワシントンD.C.
1949年
NATO(北大西洋条約機構)の設立
1949年4月4日、アメリカ、カナダ、イギリス、フランスなど12カ国がワシントンで北大西洋条約に署名し、NATOが発足した。第5条の集団的自衛権条項が核心であり、一国への攻撃を全加盟国への攻撃とみなす
ヨーロッパ・北大西洋地域
1950年〜1953年
朝鮮戦争特需
1950年6月の朝鮮戦争勃発により、米軍は日本を兵站基地として大量の物資を調達した。繊維・金属・機械など幅広い産業に特需が発生し、1950年から1953年までの特需総額は約10億ドルに達した。「もはや
日本
1951年9月8日
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約
1951年9月8日、吉田茂首相が48カ国とサンフランシスコ講和条約に調印し、1952年4月28日に発効して日本は主権を回復した。同日、日米安全保障条約も調印され、米軍の日本駐留が継続された。ソ連・中国
アメリカ・サンフランシスコ
1954年
グアテマラ・クーデター(PBSuccess作戦)
1954年6月、CIAが計画・支援した「PBSuccess作戦」により、民主的に選出されたハコボ・アルベンス大統領が打倒された。アルベンスは土地改革法(Decreto 900)を制定し、ユナイテッド・
中米・グアテマラ
1955〜1991年
ワルシャワ条約機構の設立
1955年5月14日、ソ連と東欧7カ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)がワルシャワ条約に調印。NATOに対抗する東側の集団安全保障体制として
東ヨーロッパ・ワルシャワ
1956年
スエズ危機(第二次中東戦争)
ナセルがスエズ運河を国有化したことに対し、イギリス・フランス・イスラエルが秘密協定(セーヴル議定書)を結び軍事介入。イスラエルがシナイ半島に侵攻し、英仏がスエズ運河地帯に上陸した。しかしアメリカとソ連
エジプト・スエズ
1957年
スプートニク打ち上げと宇宙開発競争の開始
1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号をR-7ロケットで地球軌道に投入することに成功した。直径58cm、重量83.6kgのアルミ合金球体で、ビープ音を発信しながら約96分で地球を
ソ連・バイコヌール宇宙基地
1960〜1961年
コンゴ独立とルムンバ暗殺
1960年6月30日にベルギー領コンゴが独立し、パトリス・ルムンバが初代首相に就任。独立式典での国王ボードワンの演説に対するルムンバの即興の反論演説は植民地主義批判の歴史的名演説となった。しかし直後に
コンゴ・レオポルドヴィル(キンシャサ)
1961年8月13日
ベルリンの壁建設
東ドイツ政府が西ベルリンを取り囲む壁の建設を開始。最初は有刺鉄線とコンクリートブロックであったが、最終的に高さ3.6mの二重のコンクリート壁、監視塔、地雷原を備えた要塞的構造物に発展した。壁を越えよう
ドイツ・ベルリン
1961年
ピッグス湾事件
1961年4月17日、CIAが訓練・装備した約1400名のキューバ亡命者部隊(旅団2506)がピッグス湾に上陸侵攻した。ケネディ大統領が直前に航空支援を縮小したこともあり、カストロ軍の迅速な反撃に遭い
カリブ海・キューバ
1962年
キューバ危機
1962年10月、ソ連がキューバに核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイル(SS-4)を密かに配備していることがU-2偵察機の写真で発覚した。ケネディ大統領は10月22日にテレビ演説でミサイルの存在を公表し
カリブ海・キューバ
1968年
核不拡散条約(NPT)の署名
1968年7月1日に署名が開始され、1970年3月5日に発効した核不拡散条約(NPT)は、核兵器国(米・ソ・英・仏・中)以外への核兵器の拡散を防止する国際条約である。核兵器国の軍縮義務(第6条)、非核
国際・ワシントンD.C./ロンドン/モスクワ
1969年
中ソ対立と珍宝島事件
ウスリー川の珍宝島で中ソ両軍が武力衝突。ソ連はT-62戦車を投入し、核攻撃まで検討された。両国の死傷者は計100人以上。フルシチョフのスターリン批判以来の中ソ関係悪化の頂点。
中国・黒竜江省
1972年
ニクソン訪中と米中接近
1971年のキッシンジャー秘密訪中を経て、1972年2月にニクソン大統領が北京を訪問。毛沢東と会談し上海コミュニケを発表。「一つの中国」原則を確認し、米中関係の正常化に向けた歴史的一歩を踏み出した。
中国・北京
1975年
ヘルシンキ宣言(欧州安全保障協力会議)
1975年8月1日、35カ国の首脳がヘルシンキ最終文書に署名した。第1バスケット(安全保障)で国境の不可侵と領土保全を確認し、第2バスケット(経済協力)で東西の経済交流を促進し、第3バスケット(人権・
フィンランド・ヘルシンキ
1979年〜1989年
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年12月27日、ソ連軍がカーブルに侵攻し、アミーン大統領を殺害してカルマルを擁立。10年間の戦争で約15,000人のソ連兵と約100万〜200万人のアフガン人が死亡。約600万人が難民となった
中央アジア・アフガニスタン
1987年
INF条約の調印と核軍縮の進展
1987年12月8日、レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がワシントンD.C.で中距離核戦力全廃条約(INF条約)に署名した。射程500-5,500kmの地上発射弾道ミサイルと巡航ミサイルの全廃
アメリカ・ワシントンD.C.