「高句麗」に関する歴史的出来事

7件の出来事

紀元前37年
高句麗の建国
扶余国の王子・朱蒙(東明聖王)が南下して卒本(現在の中国遼寧省桓仁付近)に高句麗を建国したと伝えられる。建国初期は鴨緑江中流域の小国であったが、漸次周辺部族を征服して勢力を拡大。山城を中心とした独自の
満州南部・鴨緑江流域
4世紀〜7世紀
高句麗壁画古墳群
高句麗の貴族墓に描かれた壁画群。四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)、狩猟図、生活風俗図、飛天図など多様な主題を含む。江西大墓の四神図は東アジア壁画芸術の最高傑作とされる。集安と平壌に約100基が確認され
高句麗・国内城〜平壌
391年〜413年
広開土大王の征服事業
高句麗第19代王・広開土大王(好太王)は在位中に64城1400村を征服したと碑文に記される。後燕を破って遼東を確保し、南方では百済を攻撃して漢江以北を奪取。新羅の要請に応じて倭軍を撃退した。息子の長寿
高句麗・満州〜朝鮮半島
427年
長寿王の平壌遷都
高句麗第20代王・長寿王が国内城(現在の中国吉林省集安)から平壌に都を移した。これは高句麗の国家戦略が満州から朝鮮半島に重心を移したことを示す。長寿王は在位79年(413-491年)と朝鮮史上最長在位
高句麗・平壌
612年〜614年
煬帝の高句麗遠征
煬帝は3度にわたり高句麗に遠征。第1次(612年)は113万と号する大軍を動員したが、薩水(清川江)の大敗で30万の兵を失った。第2次・第3次も失敗に終わり、国力の消耗と民衆の離反を招いた。
中国東北部〜朝鮮半島
645年
安市城の戦い
唐の太宗李世民は自ら15万の軍を率いて高句麗に親征。遼東城・白岩城を陥落させたが、安市城の城主(名は不詳)の頑強な抵抗に遭い88日間の攻城戦の末に撤退を余儀なくされた。太宗は撤退時に安市城主の勇敢さを
高句麗・安市城
668年
高句麗の滅亡
唐の李勣率いる大軍と新羅軍の合同攻撃により平壌が陥落。宝蔵王が降伏し、約700年の高句麗は滅亡した。淵蓋蘇文の死後(666年)、その子たちの間の内紛が滅亡を決定的にした。高句麗遺民は後に渤海を建国する
高句麗・平壌