「飛鳥時代」に関する歴史的出来事
27件の出来事
538年(552年説あり)
仏教公伝
百済の聖明王が欽明天皇に仏像・経典を献上し、日本に正式に仏教が伝来した。上宮聖徳法王帝説は538年、日本書紀は552年と記す。蘇我稲目が崇仏を主張し物部尾輿が排仏を唱え、崇仏・排仏論争が始まった。
日本・奈良(飛鳥)
587年
蘇我馬子と物部守屋の戦い(丁未の乱)
崇仏派の蘇我馬子が排仏派の物部守屋を滅ぼした戦い。厩戸皇子(聖徳太子)も蘇我方に参戦し、四天王に戦勝祈願したとされる。物部守屋は戦死し、物部氏の軍事的権力は崩壊。蘇我氏が朝廷の実権を掌握した。
日本・大阪
588年〜596年
飛鳥寺(法興寺)の建立
蘇我馬子が発願し建立した日本最古の本格的仏教寺院。百済から派遣された寺工・瓦博士などの技術者が建設に従事。止利仏師作の飛鳥大仏(釈迦如来像)が安置された。塔を中心に三金堂が配置される飛鳥寺式伽藍配置。
日本・奈良
593年〜622年
聖徳太子の政治改革
推古天皇の摂政として厩戸皇子(聖徳太子)が一連の政治改革を推進。603年に冠位十二階を制定し氏族の世襲ではなく個人の能力による人材登用を図った。604年に十七条憲法を制定し官僚の心構えを示した。607
日本・奈良
593年
四天王寺の建立
聖徳太子が丁未の乱の際の四天王への戦勝祈願の誓いを果たして建立した寺院。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置は日本最古の伽藍配置の一つ。敬田院・施薬院・療病院・悲田院の四箇院を設置。
日本・大阪
607年頃
法隆寺の建立
聖徳太子が斑鳩宮に隣接して建立した寺院。670年に焼失後再建された西院伽藍は世界最古の木造建築群として知られる。五重塔・金堂・中門・回廊からなる非対称の伽藍配置は法隆寺式と呼ばれる。
日本・奈良
607年
遣隋使の派遣(小野妹子)
推古天皇15年、小野妹子が遣隋使として隋に派遣された。国書に「日出処天子致書日没処天子」と記し、隋の煬帝を怒らせたと『隋書』に記録される。翌年、隋の裴世清が答礼使として来日。対等外交を志向した画期的な
日本・奈良〜中国
625年頃〜645年
蘇我蝦夷・入鹿の専横
蘇我馬子の孫・蝦夷とその子・入鹿が朝廷で絶大な権力を振るった。入鹿は643年に聖徳太子の子・山背大兄王一族を攻め滅ぼし、皇位継承にも介入。天皇家を凌ぐ専横は諸豪族の反発を招いた。
日本・奈良(飛鳥)
7世紀前半
石舞台古墳の築造
蘇我馬子の墓と伝えられる方墳。一辺約50メートル、石室は全長約19メートル。天井石は約77トンの巨岩で、封土が失われた後の露出した姿が「石舞台」の名の由来。飛鳥時代最大級の石室を持つ。
日本・奈良
630年〜894年
遣唐使の派遣
630年から894年まで約20回にわたり派遣された唐への公式使節団。4隻の船に約500人が乗り組み、外交使節・留学生・学問僧が渡海。阿倍仲麻呂・吉備真備・最澄・空海らが参加。唐の制度・文化・宗教を日本
日本〜中国
643年
山背大兄王の滅亡
聖徳太子の子・山背大兄王が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、斑鳩寺(法隆寺)で一族もろとも自害。上宮王家は断絶した。入鹿は皇位継承への影響力を強めるため、有力な皇位候補者を排除した。
日本・奈良
645年
乙巳の変
中大兄皇子と中臣鎌足が飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺した政変。三韓の使者を迎える儀式の場で、中大兄皇子自ら入鹿を斬殺。翌日、父の蘇我蝦夷も邸宅に火を放ち自害。半世紀にわたる蘇我氏の専権体制が崩壊した。
日本・奈良(飛鳥)
645年〜
大化の改新
乙巳の変後、孝徳天皇のもとで実施された一連の政治改革。646年の改新の詔により、公地公民制、班田収授法、租庸調制、国郡里制の導入が宣言された。中国の律令制度を範に中央集権的国家体制の構築を目指した。
日本・奈良(難波)
645年〜
難波宮の造営
大化の改新後、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を造営(前期難波宮)。その後、聖武天皇が726年に後期難波宮を造営。前期は飛鳥時代の大規模な掘立柱建物群、後期は礎石建物の朝堂院形式。副都として平城京と並ぶ政治的
日本・大阪
7世紀後半〜8世紀
古代駅制・官道の整備
律令国家は都と地方を結ぶ幹線道路(官道)を整備し、約30里(約16キロ)ごとに駅家を設置。駅馬が配備され、公文書の迅速な伝達を可能にした。道幅は大路で約12メートル、中路で約9メートルと広大。現代の直
日本・全国
7世紀後半
大宰府の設置
九州全体と壱岐・対馬の統治、および外交・防衛を担う律令国家の出先機関。大宰帥を長とし、数百人の官人が勤務。外国使節の接待を行う鴻臚館を管轄し、遣唐使・遣新羅使の発着地としても機能。「遠の朝廷(とおのみ
日本・福岡
664年〜665年
水城・大野城の築造
白村江の敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えて大宰府防衛のために築造。水城は全長1.2キロ、高さ約14メートルの大堤防で外濠を伴う。大野城は周囲約8キロの朝鮮式山城。百済からの亡命貴族の技術指導のもと建設され
日本・福岡
664年〜
防人制度の整備
白村江敗戦後に整備された辺境防衛制度。主に東国の農民が徴発され、北九州・対馬・壱岐の防衛に当たった。防人の歌は万葉集に多数収録され、故郷を離れる悲しみが詠まれている。奈良時代を通じて維持されたが、79
日本・九州
667年
金田城の築造
白村江敗戦後、対馬に築造された朝鮮式山城。周囲約2.8キロの石塁が山を囲み、城門・水門が設けられた。唐・新羅の侵攻に備える日本列島防衛の最前線として機能。防人が配置された。
日本・長崎(対馬)
667年
天智天皇の近江大津宮遷都
中大兄皇子(天智天皇)が飛鳥から近江大津宮に遷都。白村江敗戦後の防衛体制再編と、内政改革を推進するための新拠点として選定。庚午年籍(670年、日本最初の全国的戸籍)の作成など律令国家建設を加速させた。
日本・滋賀
672年
壬申の乱
天智天皇の崩御後、弟の大海人皇子が天智の子・大友皇子(弘文天皇)と皇位をめぐり戦った古代最大の内乱。大海人皇子は吉野から東国へ脱出して挙兵し、美濃・伊勢の豪族を糾合。瀬田橋の決戦で近江朝廷軍を破り、大
日本・近畿〜東海
680年発願〜698年完成
薬師寺の建立
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願。金堂の薬師三尊像(国宝)は白鳳美術の最高傑作。東塔(国宝)は創建時の唯一の建造物で「凍れる音楽」と称される均整美を持つ。
日本・奈良
689年
飛鳥浄御原令の施行
天武天皇が編纂を命じ、持統天皇の時代に施行された律令法典。令22巻からなるが、律は未完成であったとされる。戸籍制度(庚寅年籍)の整備と班田収授の実施を可能にし、大宝律令の前身として律令国家の基盤を形成
日本・奈良
694年
藤原京の建設
持統天皇が建設した日本初の本格的都城。中国の長安を模した条坊制を採用し、東西約5.3キロ、南北約4.8キロの壮大な規模。藤原宮を中心に碁盤目状に区画された都市が計画的に建設された。約16年間、都として
日本・奈良
7世紀末〜8世紀初
高松塚古墳の壁画
1972年に発見された極彩色の壁画は日本考古学史上最大級の発見。石室内に四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)、日月、男女群像が描かれていた。高句麗や唐の壁画墓との類似が指摘され、国際的な文化交流を反映する。
日本・奈良
7世紀末〜8世紀初
キトラ古墳の壁画
石室内に四神図・天文図・十二支像が描かれた壁画古墳。天井の天文図は現存する世界最古の本格的星図とされ、中国式の星座配置で約350個の星が金箔で表現されている。2000年の特別公開で全貌が明らかになった
日本・奈良
701年
大宝律令の制定
文武天皇の下、刑部親王・藤原不比等らが中心となって編纂した日本初の本格的律令法典。律(刑法)6巻・令(行政法)11巻からなる。唐の律令を基に日本の実情に適合させた独自の法体系を構築。702年から施行。
日本・奈良