「鎌倉時代」に関する歴史的出来事

18件の出来事

1175年
鎌倉新仏教の展開:法然と浄土宗
法然(法然房源空)が専修念仏を唱え浄土宗を開創。「南無阿弥陀仏」と称名念仏を唱えるだけで誰もが極楽往生できると説き、従来の修行主義を否定した。貴族から庶民まで広く支持を集めたが、旧仏教側から弾圧も受け
日本・京都
1185年(1192年征夷大将軍任命)
鎌倉幕府の成立
源頼朝が守護・地頭の設置権を獲得し、鎌倉を本拠として武家政権を樹立。1192年に征夷大将軍に任命された。侍所・政所・問注所を設置し、御恩と奉公に基づく封建的主従関係を基盤とする統治体制を確立した。
日本・鎌倉
1189年
奥州征伐と奥州藤原氏の滅亡
源頼朝が28万の大軍を率いて奥州藤原氏を攻撃。藤原泰衡は源義経を殺害して頼朝に服従しようとしたが認められず、敗走中に家臣に殺された。約100年にわたる奥州藤原氏の繁栄は終焉し、東北は幕府の支配下に入っ
日本・岩手
1203年〜
北条氏の執権政治の確立
1203年、北条時政が源頼家を廃して実朝を将軍に擁立し、初代執権に就任。以後、義時・泰時と続く北条氏が執権として幕府の実権を掌握した。源氏将軍は3代で途絶え、以後は摂家将軍・皇族将軍が名目上の将軍とな
日本・鎌倉
1203年
運慶・快慶と鎌倉彫刻
運慶・快慶ら慶派の仏師たちが鎌倉彫刻に革命をもたらした。東大寺南大門の金剛力士像(1203年)は4人の仏師がわずか69日で完成させた8m超の巨作。写実的で力強い表現は武家社会の気風を反映。運慶の無著・
日本・奈良
1205年
新古今和歌集の編纂
後鳥羽上皇の命により藤原定家らが編纂した勅撰和歌集の最高峰。約2,000首を収め、幽玄・有心の美学を追求。定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」は「三夕の歌」として有名。西行・慈円
日本・京都
1221年
承久の乱
後鳥羽上皇が幕府打倒を企て挙兵したが、北条義時率いる幕府軍19万に圧倒され敗北。後鳥羽上皇は隠岐に配流、順徳上皇は佐渡に配流された。朝廷の監視のため六波羅探題が京都に設置された。
日本・京都〜鎌倉
1224年頃
親鸞の浄土真宗開宗
法然の弟子・親鸞(1173-1263)は師の専修念仏をさらに深化させ、阿弥陀仏の本願力による救済(他力本願)を説いた。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(悪人正機説)は浄土真宗の核心。僧侶の
日本・関東〜京都
1227年〜
道元と曹洞宗の開宗
道元(1200-1253)は入宋して天童山の如浄に学び、帰国後に曹洞宗を開いた。1244年に越前に永平寺を開山し、只管打坐を根本とする修行道場とした。主著『正法眼蔵』は95巻に及ぶ哲学的著作で、日本思
日本・越前
1232年
御成敗式目(貞永式目)の制定
執権・北条泰時が制定した武家法の基本法典。全51条からなり、守護・地頭の権限、所領の相続・売買、裁判手続きなどを規定。武士の道理と慣習を成文化した日本初の武家法で、その後の武家法の規範となった。
日本・鎌倉
13世紀前半
平家物語の成立と琵琶法師
『平家物語』は平氏の栄華と滅亡を描いた軍記物語。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の冒頭は日本文学で最も有名な書き出しの一つ。盲目の琵琶法師が琵琶の伴奏で語る「平曲」として広く流布。信濃前司行長
日本・京都
1260年
日蓮の立正安国論
日蓮(1222-1282)は1260年に『立正安国論』を北条時頼に提出し、法華経以外の宗派を排斥しなければ国難が訪れると警告。他宗を激しく批判し、松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、龍ノ口の法難、佐渡流罪を経験
日本・鎌倉
1274年
元寇・文永の役
モンゴル帝国(元)のクビライ・ハンが高麗軍と合わせて約3万の軍勢で日本に侵攻。対馬・壱岐を蹂躙した後、博多湾に上陸。集団戦法・てつはう(炸裂弾)に日本側は苦戦したが、暴風雨(台風)により元軍は撤退した
日本・福岡
1274年〜
一遍と時宗の踊り念仏
一遍(1239-1289)は全国を遊行し踊り念仏で念仏信仰を広めた時宗の開祖。賦算によって念仏の功徳を説き「捨聖」と呼ばれた。すべてを捨てて遊行する生き方は所有を否定する究極の宗教的実践。踊り念仏は盆
日本・全国
1281年
元寇・弘安の役
元が東路軍(高麗から約4万)と江南軍(中国南部から約10万)の計約14万の大軍で再侵攻。博多湾の防塁に阻まれ上陸できず、鷹島沖で暴風雨(台風)に遭遇して壊滅的打撃を受けた。元の日本征服計画は完全に頓挫
日本・福岡
1285年
霜月騒動と得宗専制
1285年、北条得宗家の内管領・平頼綱が有力御家人・安達泰盛一族を滅ぼした。泰盛一族約500名が殺害され、粛清は全国に及んだ。以後得宗専制が確立し、御家人の不満がさらに蓄積した。
日本・鎌倉
1324年〜1333年
正中の変と元弘の乱
後醍醐天皇は幕府打倒を企図し、1324年の正中の変は失敗。1331年再挙兵も笠置山で敗れ隠岐に配流。しかし楠木正成が千早城で幕府軍を翻弄し、足利尊氏が六波羅探題を攻略、新田義貞が鎌倉を陥落させ、133
日本・京都
1333年
鎌倉幕府滅亡
後醍醐天皇の倒幕運動を機に各地で反幕府勢力が挙兵。足利高氏(尊氏)が六波羅探題を攻略し、新田義貞が鎌倉を攻撃。北条高時以下の北条一族約870人が東勝寺で自害し、約150年間続いた鎌倉幕府は滅亡した。
日本・鎌倉