「煬帝」に関する歴史的出来事
4件の出来事
605年〜610年
大運河の建設
隋の煬帝が数百万人を動員して大運河を完成。通済渠・永済渠・江南河を開削し、洛陽を中心に北は涿郡(北京)、南は余杭(杭州)を結ぶ大水路網を構築。物資・人員の大量輸送を可能にした。
中国・華北〜江南
607年
遣隋使の派遣(小野妹子)
推古天皇15年、小野妹子が遣隋使として隋に派遣された。国書に「日出処天子致書日没処天子」と記し、隋の煬帝を怒らせたと『隋書』に記録される。翌年、隋の裴世清が答礼使として来日。対等外交を志向した画期的な
日本・奈良〜中国
612年〜614年
煬帝の高句麗遠征
煬帝は3度にわたり高句麗に遠征。第1次(612年)は113万と号する大軍を動員したが、薩水(清川江)の大敗で30万の兵を失った。第2次・第3次も失敗に終わり、国力の消耗と民衆の離反を招いた。
中国東北部〜朝鮮半島
612年
隋の高句麗遠征の失敗
隋の煬帝は113万の大軍で高句麗に親征したが、乙支文徳の戦略により薩水で壊滅的敗北を喫した。渡河した隋軍30万5千のうち生還者はわずか2,700人と伝えられる。煬帝は3度(612・613・614年)遠
高句麗・遼東〜薩水