「源平合戦」に関する歴史的出来事
5件の出来事
1180年
源頼朝の挙兵と治承・寿永の乱の開始
以仁王の令旨を受けた源頼朝が伊豆で挙兵。石橋山の戦いで大敗するも、安房に渡り関東武士団を糾合して鎌倉に入った。富士川の戦いで平氏軍を撃退し、東国の支配を確立。以後5年にわたる源平合戦が展開される。
日本・伊豆〜関東
1180年10月20日
富士川の戦い
1180年、源頼朝の挙兵を受けて東下した平維盛率いる追討軍と源氏軍が富士川で対峙。夜間に水鳥の大群が一斉に飛び立った羽音を源氏の夜襲と誤認した平氏軍は、戦わずして潰走した。この敗北で平氏は東国の制圧を
日本・駿河
1183年5月11日
倶利伽羅峠の戦い
1183年、木曾義仲が平維盛率いる平氏追討軍約10万を倶利伽羅峠で大破。夜襲と地形を利用した戦術で、平氏軍は谷底に追い落とされて壊滅的敗北を喫した。火牛の計の伝承は後世の脚色とされるが、地形を利用した
日本・加賀・越中国境
1184年2月7日
一ノ谷の戦い
1184年、源義経と源範頼が平氏の拠点・一ノ谷を攻撃。義経は主力が正面から攻撃する間に精鋭70騎で鵯越の急坂を駆け下り、平氏の陣を背後から急襲した。平氏は海上に逃れたが、平敦盛と熊谷直実の一騎討ちなど
日本・摂津
1185年2月19日
屋島の戦い
1185年、源義経が屋島の平氏本営を急襲。わずか150騎で阿波国から渡海し、陸路から屋島背後を突くという大胆な作戦で平氏を敗走させた。那須与一の扇の的のエピソードで知られる。平氏は屋島を放棄して長門国
日本・讃岐