「清」に関する歴史的出来事

12件の出来事

1636年〜1637年
丙子胡乱(清の侵入)
清の太宗ホンタイジが12万の大軍で朝鮮に侵入。仁祖は南漢山城に籠城するも47日後に降伏し、三田渡で清の太宗に三跪九叩頭の礼を行う屈辱を受けた。朝鮮は清への臣従と明との断交を強要され、王子2人が人質とし
朝鮮・南漢山城
1644年
山海関の戦いと清の入関
明の将軍・呉三桂が李自成軍に対抗するため清の摂政ドルゴンに山海関を開放。清軍は山海関を突破して李自成を撃破し、順治帝が北京に入城。約270年にわたる清の中国支配が始まった。
中国・河北省山海関
1645年
揚州十日と辮髪令
清の多鐸率いる軍が揚州を攻略後、10日間にわたり虐殺・略奪を行った(揚州十日)。同時期に「薙髪令」(辮髪令)が発布され、漢人に満州式の辮髪を強制。「髪を留むる者は頭を留めず」の方針で抵抗者を処刑した。
中国・揚州
1661年〜1722年
康熙帝の治世
清の第4代皇帝・康熙帝は61年間在位し、清朝最長の治世を誇った。三藩の乱を平定、台湾を統一、ジュンガルを撃退、ネルチンスク条約でロシアとの国境を画定。科挙を重視し漢人知識人の支持を獲得。
中国・北京
1673年〜1681年
三藩の乱
康熙帝の撤藩令に反発した呉三桂が反乱を起こし、尚・耿も呼応。一時は中国南半分を支配下に置いたが、呉三桂の死後に後継者が降伏し8年間の乱は終結。
中国・雲南〜華南
1722年〜1735年
雍正帝の改革と軍機処設置
康熙帝の第四子・雍正帝が13年間の短い治世で徹底的な行政改革を実行。軍機処を設置して皇帝独裁を強化、養廉銀制度で官僚の汚職を抑制、摊丁入畝で人頭税を廃止して地税に統合した。
中国・北京
1735年〜1796年
乾隆帝の治世と版図の最大化
乾隆帝は60年間在位し、清朝の最盛期を現出。ジュンガル帝国を滅亡させて新疆を征服、チベット・ネパールにも出兵。四庫全書の編纂を命じ、同時に禁書・焚書で思想統制を強化。人口は3億人に達した。
中国・北京
1789年
西山朝と阮文恵の北伐
西山(タイソン)朝の阮文恵(光中帝)が清の20万の干渉軍をテト(旧正月)の奇襲攻撃で壊滅させた。ドンダーの戦い(1789年1月30日)では清軍のドンダー要塞を夜襲で陥落。ベトナム軍事史上最も鮮やかな勝
ベトナム・タンロン(ハノイ)
1796年〜1804年
白蓮教の乱
白蓮教徒が「弥勒下生」(弥勒仏の降臨)を唱えて蜂起。清軍は鎮圧に8年を要し、軍費2億両を費やした。正規軍の腐敗が露呈し、郷勇(地方民兵)が実質的な戦力となった。
中国・湖北〜四川〜陝西
1839年
林則徐のアヘン没収
道光帝に命じられた欽差大臣・林則徐が広州でイギリス商人からアヘン2万箱以上(約1400トン)を没収し、虎門で石灰を混ぜて海中に廃棄(虎門銷煙)。これがアヘン戦争の直接的原因となった。
中国・広州
1876年〜1878年
左宗棠の新疆回復
洋務派の将軍・左宗棠が新疆に侵入したヤクブ・ベグ政権を討伐し、新疆を回復。1884年に新疆省を設置して中国の直接統治下に。海防論と塞防論の論争で左宗棠は塞防(内陸防衛)を主張して勝利。
中国・新疆
1882年
壬午軍乱
開化政策への不満と給料の遅配に怒った旧式軍隊の兵士が反乱。日本公使館を襲撃し、日本人教官・堀本礼造らを殺害。大院君が一時的に政権を回復したが、清が3,000の軍を派遣して鎮圧し、大院君を天津に連行した
朝鮮・漢陽