「李舜臣」に関する歴史的出来事

5件の出来事

1592年〜1598年
文禄・慶長の役(朝鮮出兵)
豊臣秀吉が明の征服を目指して約15万の軍を朝鮮に派遣。文禄の役(1592年)で漢城・平壌を占領したが、李舜臣の水軍と明の援軍に苦戦。慶長の役(1597年)も膠着し、秀吉の死(1598年)により撤退。日
朝鮮半島
1592年〜1598年
万暦の朝鮮出兵(壬辰倭乱)
豊臣秀吉の朝鮮侵攻に対し、明が宗主国として大軍を派遣。第1次(壬辰倭乱1592年)は李如松率いる明軍4万が平壌を奪還。第2次(丁酉再乱1597年)も日本軍を撃退。明は延べ10万以上の兵を投入。
朝鮮半島
1592年〜1598年
壬辰倭乱(文禄の役)
豊臣秀吉が朝鮮に侵攻(日本側名称:文禄・慶長の役)。15万8千の日本軍は釜山上陸後わずか20日でソウルを占領。しかし李舜臣率いる朝鮮水軍が日本の補給路を遮断し、明の援軍も加わって戦況が逆転。1597年
朝鮮半島全域
1592年
李舜臣の閑山島海戦
朝鮮水軍の統制使・李舜臣が閑山島沖で日本水軍を大破。鶴翼の陣形で73隻の日本船を包囲し、47隻を撃沈した。この勝利により日本軍の海上補給路は遮断され、戦争の趨勢が大きく変わった。壬辰倭乱における朝鮮側
朝鮮・閑山島
1597年
李舜臣の鳴梁海戦
丁酉再乱(慶長の役)で元均の敗死により朝鮮水軍が壊滅した後、白衣従軍していた李舜臣が再び統制使に任命された。わずか13隻の船で133隻の日本水軍に挑み、鳴梁海峡の潮流を利用して31隻を撃沈する大勝利を
朝鮮・鳴梁(珍島海峡)