「戦国時代」に関する歴史的出来事

13件の出来事

紀元前5世紀〜前3世紀
百家争鳴(諸子百家の思想)
春秋戦国時代に多様な思想家が輩出。儒家(孔子・孟子・荀子)、道家(老子・荘子)、墨家(墨子)、法家(韓非子・商鞅)、兵家(孫子)、名家、陰陽家、縦横家(蘇秦・張儀の合従連衡)など。
中国・各地
紀元前356年〜前338年
商鞅の変法(秦の改革)
衛の公族出身の商鞅が秦の孝公のもとで実施した法家思想に基づく国政改革。什伍制(連帯責任制)、軍功爵制(軍功による身分上昇)、県制(封建制の廃止)、度量衡の統一、井田制の廃止と土地の私有化を断行。秦は急
中国・秦国
紀元前260年
長平の戦い
紀元前260年、秦と趙が上党の帰属をめぐり激突。趙の老将廉頗は持久戦を選んだが、趙王は趙括に交代させた。秦の白起は偽退却で趙軍をおびき出し、46日間の包囲の末に趙軍約40万を降伏させた後、坑殺(生き埋
中国・趙国(山西省)
1543年
鉄砲伝来
ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し、火縄銃2挺が島主・種子島時堯に伝わった。時堯は鍛冶職人に複製を命じ、瞬く間に国内生産が開始。堺・国友・根来などで量産体制が確立し、戦国時代の戦術を根本的に変
日本・鹿児島(種子島)
16世紀後半
大友宗麟とキリシタン大名の時代
大友宗麟(1530-1587)は九州最大の勢力を持つ大名であり、キリスト教に帰依してキリシタン大名の代表格となった。フランシスコ・ザビエルとの出会いが転機で、洗礼名はドン・フランシスコ。府内にはコレジ
日本・豊後国
1553年〜1564年(5回)
川中島の戦い
武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権をめぐって5回にわたり激突。特に第4次合戦(1561年)は最大規模で、信玄の啄木鳥戦法に対する謙信の車懸の陣など激しい戦闘が展開。信玄の弟・信繁や軍師・山本勘助が討死した
日本・長野
1555年10月1日
厳島の戦い
1555年、毛利元就が陶晴賢の大軍を厳島に誘い込み奇襲で壊滅させた。元就は約4千の兵で2万の陶軍を撃破。嵐の中を小早川水軍・村上水軍が海を渡り、背後から急襲した。陶晴賢は自刃。この勝利で毛利氏は中国地
日本・安芸国
1560年
桶狭間の戦い
織田信長がわずか約3000の兵で今川義元の約25000の大軍を急襲し、義元を討ち取った戦国史上最大の奇襲戦。豪雨に乗じた急襲が成功し、東海の覇者・今川氏は衰退。信長の天下統一への第一歩となった。
日本・愛知
1570年6月28日
姉川の戦い
1570年、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉義景連合軍と姉川で激突。浅井長政の裏切り(金ヶ崎の退き口の因縁)に激怒した信長が反撃に出た。徳川軍の奮戦が勝敗を決し、織田・徳川連合軍が勝利。しかし
日本・近江国
1570年〜1580年
石山合戦(石山本願寺と織田信長の戦い)
1570年から10年間、本願寺顕如率いる一向宗門徒が織田信長と戦い続けた。全国の一向一揆と連携し、毛利水軍からの補給を受けて頑強に抵抗。木津川口の海戦では毛利水軍が織田水軍を破ったが、信長は鉄甲船を建
日本・摂津国
1571年9月30日
比叡山焼き討ち
1571年、織田信長が比叡山延暦寺を全山焼き討ちにした。僧侶・女性・子供を問わず殺戮が行われ、数千人が犠牲になったとされる。延暦寺が浅井・朝倉に味方したことが直接の原因。延暦寺の堂塔は灰燼に帰し、古代
日本・近江国
1575年
長篠の戦い
織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の騎馬軍団を設楽原で撃破。信長は約3000挺の鉄砲を三段に配置し、武田の騎馬突撃を壊滅させたとされる。武田軍は1万余の死者を出し、戦国最強と呼ばれた武田騎馬軍団は事実
日本・愛知
1589年
伊達政宗の奥州制覇と摺上原の戦い
1589年、伊達政宗が摺上原の戦いで蘆名義広を破り、会津を制圧して奥州の覇者となった。「独眼竜」の異名を持つ政宗は18歳で家督を継ぎ、南奥州の諸勢力を次々と制圧。しかし豊臣秀吉の小田原征伐への参陣が遅
日本・陸奥国