「平清盛」に関する歴史的出来事
6件の出来事
1156年
保元の乱
後白河天皇と崇徳上皇の皇位継承争いに、藤原摂関家と源氏・平氏の内紛が絡んだ戦乱。後白河方の平清盛・源義朝が崇徳方を破った。京都で約350年ぶりの武力衝突となり、武士が政治の決定者となる転換点。
日本・京都
1159年〜1160年
平治の乱
源義朝と藤原信頼が後白河上皇の院御所・三条殿を襲撃し、信西(藤原通憲)を殺害。しかし熊野参詣中から帰京した平清盛が反撃し、義朝軍を撃破。義朝は敗走中に殺害され、幼い頼朝は伊豆に配流された。
日本・京都
1162年頃〜
日宋貿易の振興と大輪田泊の整備
平清盛が国家事業として推進した宋との貿易。大輪田泊を大改修し、宋の商船を直接受け入れる体制を整えた。宋銭の大量輸入は日本の貨幣経済を活性化させ、絹・香料・陶磁器・書籍などの輸入は文化にも大きな影響を与
日本・兵庫
1167年〜1181年
平清盛の太政大臣就任と平氏政権
平清盛が武士として初めて太政大臣に就任。一族を朝廷の要職に配し、娘の徳子を高倉天皇に入内させ、外戚としても権力を掌握。「平氏にあらずんば人にあらず」と称される専横体制を築いた。日宋貿易を推進し経済力も
日本・兵庫(福原)
1168年
厳島神社の造営
平清盛が平氏の守護神として厳島神社を大規模に造営。海上に浮かぶ寝殿造の社殿群と高さ約16メートルの大鳥居は、清盛の権力と美意識の結晶。平家納経(国宝)をはじめとする美術工芸品も奉納された。
日本・広島
1177年
鹿ヶ谷の陰謀
1177年、後白河法皇の近臣である俊寛・藤原成親・西光らが、京都東山の鹿ヶ谷の俊寛の山荘で平氏打倒を密議した。しかし多田行綱の密告で計画が露見し、平清盛は関係者を厳しく処罰。西光は処刑、成親は配流先で
日本・京都