「幕末」に関する歴史的出来事
12件の出来事
1853年
ペリー来航
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4隻で浦賀に来航し、フィルモア大統領の国書を提出して開国を要求。蒸気船(黒船)の威容は日本に大きな衝撃を与えた。翌1854年に日米和親条約が締結され、約200年
日本・神奈川
1854年3月31日
日米和親条約と開国
1854年、ペリー再来航を受けて幕府は日米和親条約を締結。下田・箱館の2港を開港し200年以上の鎖国が終了。1858年には日米修好通商条約で治外法権・関税自主権喪失という不平等条件が課された。
日本・神奈川
1858年〜1859年
安政の大獄
1858年、大老井伊直弼が将軍継嗣問題と条約問題の反対派を大規模に弾圧。吉田松陰・橋本左内を処刑し100名以上が処罰された。幕府の強権的対応は尊攘派をかえって先鋭化させ桜田門外の変を招いた。
日本・江戸
1860年
桜田門外の変
安政の大獄で尊攘派を弾圧した大老・井伊直弼が、水戸藩・薩摩藩の浪士に江戸城桜田門外で暗殺された。幕府最高権力者の暗殺は幕府の権威を決定的に失墜させ、幕末の政局を一変させた。
日本・江戸
1862年〜1863年
生麦事件と薩英戦争
1862年、薩摩藩主の行列を横切った英国人を薩摩藩士が殺傷。1863年に英艦隊7隻が鹿児島湾で薩摩藩と交戦。薩摩は甚大な被害を受けたが英艦にも損傷を与え、互いに実力を認めた。この経験で薩摩は攘夷から開
日本・横浜〜鹿児島
1863年〜1864年
下関戦争(馬関戦争)
1863年、長州藩が攘夷実行として下関海峡の外国船を砲撃。1864年に英仏蘭米の四国連合艦隊17隻が報復攻撃を行い砲台を壊滅させた。この敗北で長州も攘夷の不可能を認識し開国・近代化路線に転換。高杉晋作
日本・長門国
1863年〜1869年
新選組の活動
新選組は幕末京都で尊攘派浪士を取り締まった武装組織。近藤勇を局長、土方歳三を副長として1864年の池田屋事件で長州藩の志士を急襲し名を上げた。最盛期約200名。戊辰戦争では幕府側として戦い、土方歳三は
日本・京都
1866年
薩長同盟
薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允が坂本龍馬の仲介で軍事同盟を締結。幕府に対抗する最大勢力の結集であり、倒幕運動の決定的転換点。この同盟が大政奉還・王政復古・戊辰戦争へとつながる。
日本・京都
1867年
大政奉還
第15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上。約260年にわたる徳川幕府が平和的に終焉した。慶喜は新体制下での主導権維持を狙ったが、王政復古の大号令により実権を失った。
日本・京都
1868年
鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争開始)
旧幕府軍と薩長中心の新政府軍(官軍)が京都南部で激突した戊辰戦争最初の戦い。数で劣る新政府軍が最新の銃器と錦の御旗の政治的効果で圧勝。慶喜は大坂城から海路江戸に逃走。以後、新政府軍は東へ進軍。
日本・京都
1868年〜1869年
箱館戦争と五稜郭
旧幕府海軍副総裁・榎本武揚が蝦夷地に渡り、五稜郭を拠点に蝦夷共和国を樹立。しかし新政府軍の攻撃を受け、1869年5月に降伏。戊辰戦争の最後の戦いとなった。土方歳三は箱館の戦いで戦死。
日本・北海道
1868年
会津戦争と白虎隊
1868年、新政府軍が会津藩を攻撃。約1ヶ月の篭城戦の後に降伏。15〜17歳の白虎隊士中二番隊が飯盛山で城が燃えるのを見て自刃した悲劇は戊辰戦争の象徴。会津藩は斗南藩に移封される厳しい処分を受けた。
日本・会津