「室町時代」に関する歴史的出来事
16件の出来事
14世紀〜16世紀
倭寇の活動と東アジア海域
倭寇は14〜16世紀に東アジア海域で活動した海賊集団。前期倭寇(14世紀)は日本人中心で朝鮮半島・中国沿岸を襲撃。後期倭寇(16世紀)は中国人が主体。密貿易集団としての性格も持ち、東アジアの海上交通と
東アジア海域
1397年
金閣寺(鹿苑寺)の建立と北山文化
足利義満が北山の別荘に建てた舎利殿。最上層を金箔で覆い、公家文化と武家文化と禅宗文化を融合させた北山文化の象徴。義満の絶大な権力と美意識を体現する。1950年に放火で焼失し、1955年に再建。
日本・京都
15世紀前半
世阿弥と能楽の大成
観阿弥・世阿弥父子が猿楽能を芸術的に洗練させた。世阿弥は『風姿花伝』をはじめとする能楽論を著し、「秘すれば花」「幽玄」の美学を確立。足利義満の庇護のもと、能は武家社会の公式芸能として定着した。
日本・京都
1401年
足利義満の日明貿易(勘合貿易)
1401年、足利義満は明に使者を送り「日本国王」に册封された。倭寇取り締まりと引き換えに朝貢形式の勘合貿易を開始。勘合符を用いた貿易は莫大な利益をもたらし、銅銭・生糸・陶磁器が輸入された。義満が册封を
日本・京都
1429年
琉球王国の成立と繁栄
尚巴志が三山(北山・中山・南山)を統一し、琉球王国を建国。首里城を王城として整備し、明の冊封体制に入りつつ、中継貿易で繁栄。中国・日本・朝鮮・東南アジアとの貿易で莫大な富を築いた。「万国津梁の鐘」が理
日本・沖縄
1441年6月24日
嘉吉の乱
1441年、播磨守護の赤松満祐が6代将軍足利義教を自邸の宴会で暗殺。義教は「万人恐怖」と称される恐怖政治を行っていた。赤松氏は討伐されたが、将軍権力は大きく弱体化した。
日本・京都
1457年
コシャマインの戦い
アイヌの首長コシャマインが和人の交易拠点・道南十二館を次々と攻撃した大規模な蜂起。和人との交易上の不公正への怒りが原因。12の館のうち10が陥落したが、武田信広が反撃してコシャマインを殺害し鎮圧。武田
日本・北海道
1467年〜1477年
応仁の乱
将軍足利義政の後継問題に有力守護大名の対立が絡み、約11年間にわたる大規模内乱に発展。東軍16万と西軍11万が京都を舞台に戦い、京都は壊滅的被害を受けた。戦後、幕府の権威は失墜し、戦国時代への扉が開か
日本・京都
15世紀後半
雪舟の水墨画
室町時代最大の画家・雪舟は禅僧として明に渡り、帰国後に日本独自の水墨画を確立。『秋冬山水図』『天橋立図』『四季山水図巻(山水長巻)』など国宝6点を残す。中国の模倣ではない日本の風土に根ざした水墨画の完
日本・山口
15世紀後半
村田珠光と侘び茶の成立
村田珠光(1423-1502)は華美な唐物茶会から離れ、簡素で精神性を重視する侘び茶を創始。一休宗純に参禅して禅の精神を茶に取り込み、四畳半の小間での茶会を確立。和物の茶碗を積極的に用い、「冷え枯れる
日本・京都〜奈良
1482年
銀閣寺と東山文化
足利義政が東山に建てた山荘(後の慈照寺)。応仁の乱で荒廃した京都を避け、文化・芸術に没頭した義政の美意識の結晶。書院造・枯山水庭園・能楽・茶の湯・水墨画・花道など後世の日本文化の基盤となる東山文化が開
日本・京都
1485年〜1493年
山城国一揆
1485年、山城国南部の国人と農民が畠山政長・義就両軍に国外退去を要求し自力で追い出した。「国中掟法」を定めて約8年間自治を行った。36人の月行事による合議制で運営され、惣の自治原理が国レベルで実現し
日本・山城国
1488年〜1580年
加賀一向一揆
浄土真宗(一向宗)の門徒が加賀の守護・富樫政親を攻め滅ぼし、以後約100年間にわたり門徒による自治が行われた。「百姓の持ちたる国」と称される農民自治の実験であった。1580年に織田信長軍により鎮圧。
日本・石川
1493年
北条早雲の伊豆制圧
1493年、伊勢新九郎(北条早雲)が堀越公方・足利茶々丸を攻撃して伊豆国を制圧。1495年には小田原城を奪取し、後北条氏5代の基盤を築いた。近年の研究では幕府奉公衆出身と判明している。
日本・伊豆
1543年
鉄砲伝来
ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し、火縄銃2挺が島主・種子島時堯に伝わった。時堯は鍛冶職人に複製を命じ、瞬く間に国内生産が開始。堺・国友・根来などで量産体制が確立し、戦国時代の戦術を根本的に変
日本・鹿児島(種子島)
1549年
フランシスコ・ザビエルのキリスト教伝来
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教を伝えた。島津貴久の許可を得て布教を開始し、その後山口・豊後・京都にも赴いた。約2年間の滞在で日本のキリスト教布教の基盤を築い
日本・鹿児島