「太平洋戦争」に関する歴史的出来事
12件の出来事
1879年〜1883年
太平洋戦争(南米)
ボリビアがチリの硝石採掘企業への増税を行ったことを契機に、チリがアントファガスタを占領して開戦。ペルーはボリビアとの秘密同盟条約に基づき参戦した。チリ海軍はイキケの海戦で苦戦したが、アンガモスの海戦で
チリ・ボリビア・ペルー太平洋岸
1940年代〜
カーゴ・カルト(積荷信仰)
第二次世界大戦中に太平洋諸島に進出した軍隊がもたらした大量の工業製品(缶詰、衣服、武器、車両等)に触発されて発生した宗教運動。最も有名なジョン・フラム運動(バヌアツのタナ島)では、アメリカ人の精霊「ジ
オセアニア・メラネシア
1941年12月7日
真珠湾攻撃
1941年12月7日朝、日本海軍の6隻の空母から発進した353機の攻撃機がハワイのアメリカ太平洋艦隊基地を奇襲攻撃。戦艦アリゾナを含む4隻が沈没、4隻が損傷。188機のアメリカ軍機が地上で破壊された。
太平洋・ハワイ
1942年6月5日
ミッドウェー海戦
1942年6月5日、日本海軍の主力機動部隊と米海軍が激突。日本軍は空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を失い、米軍の損失は空母ヨークタウン1隻にとどまった。暗号解読により日本の作戦を事前に察知した米軍が
太平洋・ミッドウェー環礁
1942年8月〜1943年2月
ガダルカナル島の戦い
太平洋戦争の転換点となった6カ月間の消耗戦。1942年8月7日にアメリカ海兵隊が上陸し、日本軍の建設中の飛行場を占領。以後、日本軍は陸海空から奪回を試みたが、一木支隊の全滅、川口支隊の敗退、第二師団の
ソロモン諸島・ガダルカナル島
1942年2月15日
シンガポール陥落(日本軍の占領)
山下奉文中将率いる日本軍第25軍がマレー半島を南下し、「難攻不落」と言われたイギリスの要塞シンガポールを攻略。8万のイギリス軍が降伏し、イギリス史上最大の降伏事件となった。チャーチルは「英国史上最悪の
シンガポール
1942年4月
バターン死の行進
バターン半島で降伏した約7万5千人のアメリカ・フィリピン連合軍捕虜が、日本軍により約100kmの徒歩行進を強制された。飢餓、脱水、暴行、処刑により数千〜1万人以上が死亡。米国では「バターン死の行進」と
フィリピン・バターン半島
1942年2月19日
日本軍のダーウィン爆撃
日本海軍航空隊がオーストラリア本土への最大規模の攻撃を実施。真珠湾攻撃にも参加した赤城・加賀・蒼龍・飛龍の艦載機188機と陸上爆撃機54機が2波にわたりダーウィンを爆撃した。港湾施設、飛行場、市街地が
オーストラリア・ダーウィン
1944年3月〜7月
インパール作戦の失敗
日本陸軍第15軍の牟田口廉也中将が立案したインド侵攻作戦。約9万の兵力で補給を無視した攻勢を敢行したが、イギリス軍の反撃と補給断絶により壊滅的敗北。戦死・病死・餓死者約3万人、戦傷・病者約4万人を出し
インド・インパール〜ミャンマー国境
1945年2月〜3月
硫黄島の戦い
1945年2月19日から3月26日にかけて、米海兵隊約7万名と栗林忠道指揮下の日本軍約2万1千名が激突。栗林は従来の水際撃滅戦術を廃し、地下陣地からの持久戦を展開。米軍は36日間の激戦で約7千名の戦死
日本・小笠原諸島
1945年3月〜6月
沖縄戦
1945年3月26日から6月23日にかけて、沖縄本島を中心に日米両軍が激突した太平洋戦争最大の地上戦。牛島満中将率いる第32軍約10万名に対し、米軍は約18万名が上陸。日本軍は首里防衛線で持久戦を展開
日本・沖縄
1945年8月15日
ポツダム宣言受諾・終戦
1945年8月14日の御前会議で昭和天皇が「聖断」を下し、ポツダム宣言受諾を決定。8月15日正午、天皇の録音による終戦の詔書(玉音放送)がラジオで放送された。「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の一節は日
日本・東京