「唐」に関する歴史的出来事
13件の出来事
493年〜
龍門石窟の造営
北魏の洛陽遷都に伴い造営開始。孝文帝・宣武帝期に宮廷主導で古陽洞・賓陽洞などが開鑿された。唐代には則天武后の寄進で盧舎那仏(高さ17m)が完成。全2345窟、10万体以上の仏像を有する。
中国・河南省洛陽
618年〜626年
唐の建国と玄武門の変
隋末の混乱の中、太原留守の李淵が挙兵し618年に唐を建国。次男の李世民が軍事的に最大の功績を挙げたが、626年に玄武門の変で兄・李建成と弟・李元吉を殺害し皇太子となった。同年即位して太宗に。
中国・長安
627年〜649年
貞観の治
唐太宗・李世民の治世。魏徴・房玄齢・杜如晦ら賢臣を登用し、諫言を奨励する開かれた政治を行った。律令制度を完成させ、三省六部・科挙・均田制・府兵制を整備。東突厥を滅ぼし「天可汗」の称号を得た。
中国・長安
630年〜894年
遣唐使の派遣
630年から894年まで約20回にわたり派遣された唐への公式使節団。4隻の船に約500人が乗り組み、外交使節・留学生・学問僧が渡海。阿倍仲麻呂・吉備真備・最澄・空海らが参加。唐の制度・文化・宗教を日本
日本〜中国
630年〜894年
遣唐使と東アジア文化圏
日本が約260年間にわたり20回近く派遣した使節団。留学生・留学僧が唐の制度・文化・技術を吸収して持ち帰った。阿倍仲麻呂は玄宗に仕え、鑑真は6度の渡海失敗を経て来日。894年に菅原道真の建議で廃止。
中国・長安
7世紀〜9世紀
吐蕃帝国の隆盛と唐との抗争
ソンツェン・ガンポがチベットを統一し吐蕃帝国を建国。唐の文成公主を娶り仏教を受容。8世紀にはティソン・デツェン王の下で最盛期を迎え、763年には一時長安を占領。唐と長く覇権を争った。
チベット・ラサ
663年
白村江の戦い
百済復興軍を支援するため渡海した日本(倭国)の水軍約4万が、唐・新羅連合軍と白村江で激突し大敗した。日本の船400余隻が焼かれ壊滅的な打撃を受けた。この敗戦により日本は朝鮮半島への軍事介入を完全に断念
百済・白村江(錦江河口)
676年
新羅の三国統一
新羅は唐を朝鮮半島から駆逐し、大同江以南の朝鮮半島統一を達成した。唐は高句麗・百済の旧領に安東都護府を設置して直接支配を企図したが、新羅は唐軍と戦って撃退。金仁問・金庾信らの外交・軍事両面の努力により
朝鮮半島・新羅
713年〜763年
開元の治と安史の乱
玄宗皇帝は即位後「開元の治」と称される善政を行い、唐は最盛期を迎えた。しかし晩年は楊貴妃に溺れて政治を怠り、755年にソグド系節度使・安禄山が反乱。長安・洛陽が陥落し、玄宗は蜀に逃亡。楊貴妃は馬嵬駅で
中国・長安〜洛陽
751年
タラス河畔の戦い
唐帝国の高仙芝将軍率いる軍勢がアッバース朝の将軍ズィヤード・イブン・サーリフの軍に敗北した戦い。カルルク族の裏切りが唐軍の敗因とされる。唐の中央アジアへの進出が頓挫し、以後イスラム勢力が中央アジアを支
中央アジア・キルギス/カザフスタン
780年
両税法の施行
宰相・楊炎の建議により、従来の租庸調制に代わり両税法を施行。夏と秋の年2回、資産額に応じて銭と穀物で徴税する制度。均田制の崩壊と荘園制の拡大を追認し、現実に即した税制に転換した。
中国・全土
845年
会昌の廃仏(三武一宗の法難)
唐の武宗が大規模な仏教弾圧を断行。全国の寺院4600余りを破壊し、僧尼26万人を還俗させた。寺院の所有する田地・奴婢・財宝を没収。「三武一宗の法難」の中で最大規模の廃仏。
中国・長安
875年〜884年
黄巣の乱と唐の滅亡
塩の密売人出身の黄巣が率いた大規模農民反乱。880年に長安を攻略し大斉を建国したが、884年に唐軍と沙陀族・李克用の連合軍に敗れた。乱後も唐は名目的に存続したが907年に朱全忠により滅亡。
中国・長安を中心に全土