「古墳時代」に関する歴史的出来事
17件の出来事
紀元前1世紀〜紀元後3世紀
出雲王権の形成と四隅突出型墳丘墓
弥生後期から古墳時代初頭、出雲地域では独自の四隅突出型墳丘墓が築造された。西谷墳墓群に代表される大型墳墓は、出雲に独自の政治勢力が存在したことを示す。荒神谷遺跡の銅剣358本、加茂岩倉遺跡の銅鐸39個
日本・島根
3世紀前半〜4世紀中頃
纒向遺跡の大規模建物群造営
3世紀前半に突如出現した大規模集落遺跡。東西約2キロ、南北約1.5キロに及ぶ。大型建物群、運河状の大溝、各地の土器(東海・山陰・北陸・九州)が出土し、列島各地から人々が集まった政治的中心地であった。箸
日本・奈良
3世紀後半
箸墓古墳の築造
最古級の大型前方後円墳の一つ。全長約280メートルで、前方後円墳の完成形を示す。『日本書紀』では倭迹迹日百襲姫命の墓とされるが、卑弥呼の墓とする説も有力。周濠から出土した土器の年代は3世紀後半を示す。
日本・奈良
4世紀〜6世紀
古代製鉄技術の導入
古墳時代中期以降、朝鮮半島からの技術導入により日本列島での製鉄が始まった。初期は鍛冶(輸入鉄素材の加工)が中心であったが、6世紀頃には砂鉄を原料とするたたら製鉄が開始。鉄製農具・武器の国内生産が可能と
日本・各地
4世紀〜5世紀
吉備王権の形成と造山古墳
古墳時代、吉備地域は大和に次ぐ有力な政治勢力を形成した。造山古墳(全長350メートル)は全国第4位の規模で、天皇陵に匹敵する。吉備は独自の特殊器台・埴輪を持ち、ヤマト王権の前方後円墳体制にも影響を与え
日本・岡山
4世紀〜6世紀
毛野王権の形成
古墳時代、上毛野(群馬県)には東日本最大級の古墳群が築造された。太田天神山古墳(全長210メートル)は東日本最大の前方後円墳。埴輪の生産・分配でも中心的役割を果たし、東国における最有力勢力であった。
日本・群馬
4世紀後半〜6世紀
古市古墳群の形成
応神天皇陵(誉田御廟山古墳、全長425メートル)を中心とする大古墳群。前方後円墳・円墳・方墳など計130基以上が築造された。百舌鳥古墳群と並ぶ古墳時代中後期の王墓群。2019年に世界文化遺産に登録。
日本・大阪
369年(泰和四年)
七支刀の製作と贈呈
石上神宮に伝わる六枝の刃を持つ特異な鉄刀。61文字の金象嵌銘文があり、百済王が倭王に贈ったものとされる。「泰和四年」の紀年銘は369年を指すと解釈される。4世紀の日朝関係を示す最重要の物証。国宝。
日本・奈良
5世紀前半〜中頃
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の築造
全長約486メートル、日本最大の前方後円墳。周濠を含めた総面積は約47万平方メートルでエジプトのクフ王のピラミッドや秦始皇帝陵に匹敵する世界最大級の墓。築造には延べ680万人の労働力と約16年を要した
日本・大阪
5世紀〜6世紀
渡来人による技術移転(須恵器・機織り)
5世紀以降、朝鮮半島から渡来した技術者集団が日本に先進技術を伝えた。須恵器(高温焼成の灰色硬質土器)の生産技術、絹織物の機織り技術、鍛冶・鋳造技術、文字(漢字)の使用、仏教建築技術などが移転された。
日本・大阪〜奈良
5世紀〜6世紀
秦氏による太秦開発
朝鮮半島から渡来した秦氏が山城国を中心に大規模な開発を行った。養蚕・機織り技術に優れ、「秦」の名は機織り(はた)に由来するとも。広隆寺を氏寺として建立し、弥勒菩薩半跏思惟像(国宝第一号)を安置。
日本・京都
5世紀〜7世紀
装飾古墳の文化
石室内壁に赤・青・白・黒・黄の顔料で幾何学文様や具象画(人物・馬・船・鳥など)を描いた古墳群。全国約660基の装飾古墳のうち約200基が熊本県に集中。チブサン古墳・鍋田横穴群などが代表的。死後の世界観
日本・熊本
421年〜478年
倭の五王の中国南朝への遣使
讃・珍・済・興・武の倭の五王が、中国南朝の宋に相次いで朝貢し、将軍号や都督の称号を求めた。特に倭王武(雄略天皇に比定)は478年の上表文で、先祖の東西征服の歴史を述べ、高句麗への対抗のため軍事的称号を
日本
471年(辛亥年)
稲荷山古墳鉄剣の銘文
1978年、稲荷山古墳から出土した鉄剣のX線調査で115文字の金象嵌銘文が発見された。「辛亥年」(471年)の紀年銘と「獲加多支鹵大王」(ワカタケル大王=雄略天皇)への奉仕を記す。東国豪族がヤマト大王
日本・埼玉
5世紀後半
江田船山古墳鉄刀銘
江田船山古墳から出土した大刀に75文字の銀象嵌銘文が刻まれている。「獲□□□鹵大王」の文字があり、稲荷山古墳鉄剣と同じ雄略天皇に関わる銘文と推定される。九州の豪族もヤマト大王に仕えていたことを示す。
日本・熊本
507年
継体天皇の即位
武烈天皇が後嗣なく崩御し、応神天皇5世孫とされる越前の男大迹王(継体天皇)が大伴金村らに擁立された。即位後も大和入りは526年まで実現せず、異例の長期間畿内周辺に宮を置いた。王朝交替説の根拠ともされる
日本・大阪
527年〜528年
磐井の乱
筑紫国造磐井がヤマト王権の朝鮮半島出兵に反対して挙兵。新羅と通じ、ヤマト王権軍の渡海を妨害した。528年、物部麁鹿火が率いるヤマト王権軍により鎮圧。磐井は斬殺された。岩戸山古墳が磐井の墓とされる。
日本・福岡