「モンゴル」に関する歴史的出来事
11件の出来事
1231年〜1270年
モンゴルの高麗侵入と江華島遷都
モンゴル帝国は1231年から6度にわたり高麗に侵入。崔氏政権は1232年に江華島に遷都して抵抗を続けた。国土は荒廃し黄龍寺九層木塔など多くの文化財が焼失したが、江華島では大蔵経の再刻版(高麗大蔵経)が
高麗・江華島
1236年〜1242年
バトゥの西征(モンゴルのヨーロッパ侵攻)
チンギス・カンの孫バトゥが15万の軍を率いてロシア・東欧に侵攻。キエフを破壊し、ポーランドのリーグニッツの戦い、ハンガリーのモヒの戦いで欧州軍を撃破。オゴデイ・カアンの死により撤退し、キプチャク・ハン
ロシア〜東欧
1237年〜1240年
モンゴルのルーシ征服
バトゥ率いるモンゴル軍(約15万)がルーシ諸公国を次々に征服。リャザン(1237年12月)、ウラジーミル(1238年2月)が陥落し、1240年12月にはキエフが壊滅的破壊を受けた。ルーシの諸都市は略奪
ルーシ(ロシア)
1250〜1517年
マムルーク朝の成立
トルコ系・チェルケス系の軍人奴隷(マムルーク)がアイユーブ朝の将軍として実権を握り、最後のアイユーブ朝スルタンを排除して独自の王朝を建国。1260年のアイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を撃退し、十
エジプト・カイロ
1258年
モンゴルのバグダッド征服とアッバース朝滅亡
チンギス・ハンの孫フレグが率いるモンゴル軍が約40日間の包囲の末にバグダッドを陥落させた。最後のアッバース朝カリフ・ムスタアスィムは処刑され、500年続いたカリフ制は断絶。市は40日間にわたり略奪・虐
メソポタミア・バグダッド
1260年
マムルーク朝のアイン・ジャールートの戦い
マムルーク朝のスルタン・クトゥズとバイバルス将軍率いるエジプト軍が、キトブカ・ノヤン率いるモンゴル軍を撃破した。バグダッド陥落後の西進を続けるモンゴル軍に対する初の大勝利。バイバルスの伏兵戦術とマムル
パレスチナ・アイン・ジャールート
1260年
アイン・ジャールートの戦い
マムルーク朝のスルタン・クトゥズと将軍バイバルスが、モンゴル帝国のキトブカ率いる軍勢をパレスチナのアイン・ジャールートで撃破。モンゴル軍の西方への膨張が初めて決定的に阻止された。バイバルスは戦後クトゥ
パレスチナ・アイン・ジャールート
1270年〜1273年
三別抄の抵抗
高麗王室がモンゴルに降伏した後も、武臣政権下の精鋭軍事組織・三別抄は裴仲孫を指導者として抵抗を継続。珍島に拠点を置いて独自政権を樹立し、日本にも援軍を求めた。珍島陥落後は済州島に移り、1273年にモン
高麗・珍島〜済州島
1274年
元寇・文永の役
モンゴル帝国(元)のクビライ・ハンが高麗軍と合わせて約3万の軍勢で日本に侵攻。対馬・壱岐を蹂躙した後、博多湾に上陸。集団戦法・てつはう(炸裂弾)に日本側は苦戦したが、暴風雨(台風)により元軍は撤退した
日本・福岡
1281年
元寇・弘安の役
元が東路軍(高麗から約4万)と江南軍(中国南部から約10万)の計約14万の大軍で再侵攻。博多湾の防塁に阻まれ上陸できず、鷹島沖で暴風雨(台風)に遭遇して壊滅的打撃を受けた。元の日本征服計画は完全に頓挫
日本・福岡
1288年
陳朝のモンゴル撃退(白藤江の戦い)
ベトナム・陳朝がモンゴル帝国(元)の第三次侵攻を撃退。陳興道将軍が白藤江で元の水軍を壊滅させた。ベトナムはモンゴルの3度の侵攻(1258年、1285年、1288年)をすべて撃退し、東南アジアで唯一モン
ベトナム北部・白藤江