「ビスマルク」に関する歴史的出来事

7件の出来事

1866年
普墺戦争(ケーニヒグレーツの戦い)
ビスマルクが仕掛けた普墺戦争の決戦。プロイセン軍がオーストリア軍を決定的に撃破し、わずか7週間で戦争は終結した。プラハ条約でオーストリアはドイツ連邦から排除され、北ドイツ連邦が成立。小ドイツ主義による
チェコ・ケーニヒグレーツ(現フラデツ・クラーロヴェー)
1870-1871年
普仏戦争・セダンの戦い
エムス電報事件を契機にフランスが宣戦布告。1870年9月1-2日のセダンの戦いでナポレオン3世が降伏・捕虜となった。パリは4ヶ月間包囲され、1871年1月に降伏。フランクフルト講和条約でアルザス=ロレ
フランス・セダン
1871年
ドイツ帝国成立宣言
普仏戦争の勝利を背景に、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間でプロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国が成立した。ビスマルクが帝国宰相となり、25の領邦国家からなる連邦制の統一国家が誕生した。
フランス・ヴェルサイユ宮殿
1873-1890年
ビスマルクの同盟体制
ビスマルクは三帝同盟(独墺露、1873年)、独墺同盟(1879年)、三国同盟(独墺伊、1882年)、再保障条約(独露、1887年)を重層的に締結し、フランスの孤立を維持しつつヨーロッパの平和を保った。
ドイツ・ベルリン
1878年
ベルリン会議
露土戦争後のサン・ステファノ条約を修正するため開催された国際会議。ロシアが作った大ブルガリアを三分割し、オーストリアにボスニア・ヘルツェゴビナの管理権を付与、イギリスにキプロスを確保させた。セルビア、
ドイツ・ベルリン
1883-1889年
ビスマルクの社会保険制度
ビスマルクが社会主義者鎮圧法(1878年)と並行して導入した世界初の包括的社会保険制度。疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年)の三法により、労働者の生活保障
ドイツ・ベルリン
1884〜1885年
ベルリン会議(アフリカ分割)
ビスマルクの主催により14カ国(アフリカからの参加者なし)がベルリンに集まり、アフリカ大陸の植民地分割のルールを策定。「実効支配の原則」により、領有の主張には現地での実際の支配が必要とされた。コンゴ川
ドイツ・ベルリン