「スターリン」に関する歴史的出来事
6件の出来事
1922年12月30日
ソ連の成立
ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が正式に成立。連邦条約により各共和国は理論上対等な連邦国家を構成したが、実質的にはロシア共産党中央委員会(スターリンが書記長)による中央集権体制であった。レーニンは
ソ連・モスクワ
1924-1929年
レーニンの死去とスターリンの権力掌握
1924年1月21日にレーニンが死去。その後、スターリンは書記長の地位を利用して党組織を掌握し、トロツキー(永続革命論)、ジノヴィエフ・カーメネフ(新反対派)、ブハーリン(右派反対派)を順次打倒して、
ソ連・モスクワ
1928-1933年
ソ連の五カ年計画と農業集団化
スターリンが開始した第一次五カ年計画で、急速な重工業化と農業の強制的な集団化(コルホーズ化)が推進された。工業生産は飛躍的に増大したが、農業集団化はウクライナを中心に大飢饉(ホロドモール、推定300-
ソ連全域
1930年〜1933年
カザフスタン大飢饉
スターリンの集団農場化(コレクティヴィゼーション)政策によりカザフ遊牧民が強制的に定住・集団化された結果、推定150万人(カザフ人口の約40%)が飢餓で死亡。家畜の約80%(約700万頭)が失われた。
中央アジア・カザフスタン
1936-1938年
スターリンの大粛清
スターリンがセルゲイ・キーロフ暗殺(1934年)を口実に開始した大規模な政治的粛清。モスクワ裁判(見せ物裁判)で旧ボリシェヴィキ指導者(ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン等)が処刑された。赤軍の将軍
ソ連・モスクワ
1944年8月1日-10月2日
ワルシャワ蜂起
ポーランド国内軍(AK)がボル=コモロフスキ将軍の指揮のもとドイツ軍に対して蜂起。63日間の激戦の末に降伏した。ソ連軍はヴィスワ川東岸で進軍を停止し、蜂起を支援しなかった。蜂起側の死者約1万6千人、民
ポーランド・ワルシャワ