「オスマン帝国」に関する歴史的出来事

7件の出来事

1402年
ティムールのアンカラの戦いとオスマン帝国の危機
ティムール帝国のティムール(タメルラン)がオスマン帝国のバヤズィト1世を撃破し捕虜にした。オスマン帝国はアナトリアの領土を一時喪失し、11年間の空位期(フェトレト)に陥った。バヤズィトはティムールの鉄
アナトリア・アンカラ
1453年
メフメト2世のコンスタンティノープル征服
オスマン帝国のスルタン・メフメト2世(ファーティフ=征服者)が53日間の包囲の末にコンスタンティノープルを征服し、1100年以上続いたビザンツ帝国を滅亡させた。ウルバンの巨大砲による城壁破壊と、陸路で
アナトリア・コンスタンティノープル
16〜19世紀
バルバリア海賊の全盛期
16世紀初頭、オスマン帝国の私掠船長バルバロッサ兄弟(ウルージとハイレッディン)がアルジェを占領し、オスマンの海軍力と結びついたバルバリア海賊が地中海の脅威となった。キリスト教徒の船舶を襲撃し、約30
アルジェリア・アルジェ
1517年
オスマン帝国のエジプト征服
オスマン帝国のセリム1世がマムルーク朝を滅ぼしエジプトを征服。1516年のマルジュ・ダービクの戦い(シリア)と1517年のリダーニヤの戦い(エジプト)でマムルーク軍を火器の優位により撃破。最後のマムル
エジプト・カイロ
1683年7月〜9月
第二次ウィーン包囲
オスマン帝国の大宰相カラ・ムスタファ・パシャが約15万の大軍でウィーンを包囲。シュターレンベルク伯が約1万5千の守備隊で約2ヶ月間持ちこたえた。ポーランド王ヤン3世ソビエスキーが率いる約7万の救援軍が
オーストリア・ウィーン
1821-1829年
ギリシャ独立戦争の勃発
オスマン帝国支配下のギリシャ人が独立を求めて蜂起。フィリキ・エテリア(友愛会)が組織的に準備し、1821年3月にペロポネソス半島で一斉蜂起が始まった。ナヴァリノの海戦(1827年)で英仏露連合艦隊がオ
ギリシャ・ペロポネソス半島
1912-1913年
バルカン戦争
第一次バルカン戦争(1912年)でバルカン同盟(セルビア、ギリシャ、ブルガリア、モンテネグロ)がオスマン帝国を破り、ヨーロッパ側のほぼ全領土を奪取。第二次バルカン戦争(1913年)ではマケドニアの分配
バルカン半島各地