ロシアの歴史

24件の歴史的出来事

1242年4月5日
氷上の戦い(チュド湖の戦い)
ノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがチュートン騎士団・リヴォニア帯剣騎士団の連合軍をチュド湖の氷上で撃破した。ネフスキーは両翼に弓兵を配置し、中央の歩兵が騎士団の突撃を受け止めた後、騎兵が側面から
ロシア・チュド湖
1547年1月16日
イヴァン雷帝のツァーリ戴冠
モスクワ大公イヴァン4世が16歳でロシア初の「ツァーリ(皇帝)」の称号を正式に使用して戴冠。中央集権化を推進し、法典の編纂、地方行政改革、常備軍(ストレリツィ)の創設を行った。後半生にはオプリーチニナ
ロシア・モスクワ
1598年〜1613年
ロシアの動乱時代
リューリク朝の断絶後、ロシアが深刻な政治的混乱に陥った時代。ボリス・ゴドゥノフの即位、偽ドミトリー(イヴァン雷帝の息子を騙る複数の人物)の出現、ポーランドとスウェーデンの軍事介入が重なった。1612年
ロシア・モスクワ
1689年
ネルチンスク条約
清とロシア帝国の間で結ばれた最初の対等条約。外興安嶺(スタノヴォイ山脈)をロシアとの国境と定め、アムール川流域を清の領域と確認。ラテン語・満洲語・ロシア語で調印された。
ロシア・ネルチンスク
1689年〜1725年
ピョートル大帝の西欧化改革
ツァーリ・ピョートル1世が推進した急進的な西欧化・近代化改革。1697-98年の大使節団(自ら偽名で参加)で西欧の技術を学んだ後、軍制改革(常備陸海軍の創設)、行政改革(参議会制度)、文化改革(貴族の
ロシア
1812年6月〜12月
ナポレオンのロシア遠征
ナポレオンが約61万の大陸軍(グランダルメ)を率いてロシアに侵攻。ロシア軍はクトゥーゾフの指揮下で焦土作戦を展開し、ボロジノの戦い(9月7日)で大損害を出しながらも軍を温存した。ナポレオンはモスクワを
ロシア
1825年
デカブリストの乱
1825年12月14日、アレクサンドル1世の急死後の皇位継承の混乱に乗じて、自由主義的な青年将校たちが元老院広場で武装蜂起した。立憲制と農奴解放を求めたが、組織的な準備不足とニコライ1世の迅速な鎮圧に
ロシア・サンクトペテルブルク
1866年
ドストエフスキー『罪と罰』
フョードル・ドストエフスキーの代表作。貧しい学生ラスコーリニコフが「選ばれた人間」には殺人も許されるという理論に基づいて金貸しの老婆を殺害するが、良心の呵責に苦しみ、最終的に自首する。人間の罪悪と贖罪
ロシア・サンクトペテルブルク
1881年
アレクサンドル2世暗殺
人民の意志(ナロードナヤ・ヴォーリャ)のテロリストが、馬車で移動中のアレクサンドル2世に爆弾を投擲。最初の爆弾で護衛が負傷し、皇帝が馬車を降りた直後に二発目の爆弾で致命傷を負い、冬宮で死去した。7回目
ロシア・サンクトペテルブルク
1891-1916年
シベリア鉄道建設
皇太子ニコライ(後のニコライ2世)がウラジオストクで起工式を行い、モスクワからウラジオストクまでの鉄道建設が開始された。囚人・兵士・中国人労働者が動員され、バイカル湖周辺の工事は特に難航した。1904
ロシア帝国・モスクワ〜ウラジオストク
1905-1907年
1905年ロシア第一革命
1905年1月9日(ユリウス暦)、ガポン神父に率いられた労働者の平和的請願デモに対し、冬宮前で近衛兵が発砲(「血の日曜日」事件)。これを契機に全土でストライキ、農民蜂起、軍の反乱(戦艦ポチョムキン号の
ロシア・サンクトペテルブルク
1917年3月(露暦2月)
ロシア二月革命
食糧不足に抗議する女性労働者のデモ(国際婦人デー)が全市的なゼネストに発展。兵士が反乱に参加し、ニコライ2世は退位を余儀なくされた。300年のロマノフ王朝が崩壊し、臨時政府とペトログラード・ソヴィエト
ロシア・ペトログラード
1917年11月7日(露暦10月25日)
ロシア十月革命
レーニンとトロツキーの指導のもと、ボリシェヴィキが武装蜂起を決行。赤衛隊と革命的兵士が電話局、電信局、駅、橋を制圧し、冬宮を占拠して臨時政府閣僚を逮捕した。全ロシア・ソヴィエト大会で権力のソヴィエトへ
ロシア・ペトログラード
1922年12月30日
ソ連の成立
ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が正式に成立。連邦条約により各共和国は理論上対等な連邦国家を構成したが、実質的にはロシア共産党中央委員会(スターリンが書記長)による中央集権体制であった。レーニンは
ソ連・モスクワ
1924-1929年
レーニンの死去とスターリンの権力掌握
1924年1月21日にレーニンが死去。その後、スターリンは書記長の地位を利用して党組織を掌握し、トロツキー(永続革命論)、ジノヴィエフ・カーメネフ(新反対派)、ブハーリン(右派反対派)を順次打倒して、
ソ連・モスクワ
1936-1938年
スターリンの大粛清
スターリンがセルゲイ・キーロフ暗殺(1934年)を口実に開始した大規模な政治的粛清。モスクワ裁判(見せ物裁判)で旧ボリシェヴィキ指導者(ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン等)が処刑された。赤軍の将軍
ソ連・モスクワ
1939年8月23日
独ソ不可侵条約
イデオロギー的に対極にあるナチス・ドイツとソ連が不可侵条約を締結。リッベントロップとモロトフが署名した。秘密議定書で東ヨーロッパの勢力圏分割を取り決め、ポーランド分割とバルト三国のソ連への編入を合意し
ソ連・モスクワ
1941-1944年(872日間)
レニングラード包囲
ドイツ軍が872日間にわたりレニングラードを包囲した人類史上最長の都市包囲戦。飢餓、寒さ、砲撃により推定63万〜100万人の市民が死亡した。市民は壁紙の糊、革ベルト、家具を食べて耐え忍んだ。ショスタコ
ソ連・レニングラード
1942年8月-1943年2月
スターリングラード攻防戦
ドイツ第6軍がスターリングラードの占領を目指し、ソ連軍と壮絶な市街戦を展開。11月19日のソ連軍の反攻作戦(ウラヌス作戦)でドイツ第6軍約29万人が包囲された。パウルス元帥は1943年2月2日に降伏し
ソ連・スターリングラード
1943年7月
クルスクの戦い
ドイツ軍がクルスク突出部の挟撃を企図した「ツィタデレ作戦」に対し、ソ連軍が縦深防御で対抗した史上最大の戦車戦。ドイツ軍は新型タイガー・パンター戦車を投入したが、ソ連軍の圧倒的な防御火力と反撃により攻勢
ソ連・クルスク
1957年
スプートニク打ち上げと宇宙開発競争の開始
1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号をR-7ロケットで地球軌道に投入することに成功した。直径58cm、重量83.6kgのアルミ合金球体で、ビープ音を発信しながら約96分で地球を
ソ連・バイコヌール宇宙基地
1985-1991年
ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチ
ゴルバチョフ書記長が停滞するソ連経済と硬直した政治体制の改革を目指して開始した二大政策。ペレストロイカ(立て直し)は経済改革、グラスノスチ(情報公開)は言論の自由化を指す。しかし改革は制御を失い、民族
ソ連・モスクワ
1991年12月25日
ソ連崩壊
1991年8月の保守派クーデター未遂の失敗後、各共和国の独立が加速。12月8日にエリツィン(ロシア)、クラフチュク(ウクライナ)、シュシケヴィチ(ベラルーシ)がベロヴェーシの森で独立国家共同体(CIS
ソ連・モスクワ
1994-2009年
チェチェン紛争
第一次チェチェン紛争(1994-96年)でロシア軍はチェチェン独立派と戦ったが、グロズヌイの壊滅的な市街戦と各地でのゲリラ戦に苦しみ、ハサヴユルト合意で事実上の独立を認めた。第二次紛争(1999-20
ロシア・チェチェン共和国

他の地域