ポーランドの歴史
7件の歴史的出来事
1543年
コペルニクスの地動説
ニコラウス・コペルニクスが死の直前に主著『天球の回転について(デ・レヴォリューティオニブス)』を出版し、太陽中心説(地動説)を体系的に提唱した。地球を含む惑星が太陽の周りを公転するモデルで、プトレマイ
ポーランド
1772年〜1795年
ポーランド分割(第1回〜第3回)
ロシア、プロイセン、オーストリアの三大国がポーランド・リトアニア共和国を三度にわたり分割・消滅させた。第1回(1772年)で約30%、第2回(1793年)でさらに大幅な領土を喪失。コシュシューシコの蜂
ポーランド・リトアニア
1830-1831年
ポーランド十一月蜂起
パリ七月革命に触発され、ワルシャワの士官学校の学生たちがロシア支配に対して蜂起。ポーランド軍は一時的にロシア軍を撃退したが、約10ヶ月の戦いの末に鎮圧された。ポーランドの自治権は大幅に縮小され、多くの
ポーランド・ワルシャワ
1940-1945年
アウシュヴィッツ絶滅収容所
ナチスが建設した最大の強制収容所・絶滅収容所複合施設。アウシュヴィッツI(基幹収容所)、ビルケナウ(絶滅収容所)、モノヴィッツ(労働収容所)から構成された。推定約110万人が殺害され、うち約100万人
ポーランド・オシフィエンチム
1943年4-5月
ワルシャワ・ゲットー蜂起
ゲットーの残存ユダヤ人約6万人が、トレブリンカへの移送(絶滅収容所への送致)に抵抗して武装蜂起。モルデハイ・アニエレヴィチが率いるユダヤ人戦闘組織(ZOB)が約750人の戦闘員で、SSシュトロープ将軍
ポーランド・ワルシャワ
1944年8月1日-10月2日
ワルシャワ蜂起
ポーランド国内軍(AK)がボル=コモロフスキ将軍の指揮のもとドイツ軍に対して蜂起。63日間の激戦の末に降伏した。ソ連軍はヴィスワ川東岸で進軍を停止し、蜂起を支援しなかった。蜂起側の死者約1万6千人、民
ポーランド・ワルシャワ
1980-1989年
ポーランド「連帯」運動
レフ・ワレサが率いるグダニスク造船所のストライキから、東側ブロック初の独立自主管理労働組合「連帯(ソリダルノシチ)」が誕生。約1,000万人が加入した。1981年12月にヤルゼルスキ将軍が戒厳令を布告
ポーランド・グダニスク