南アフリカの歴史
9件の歴史的出来事
紀元前3000年〜1800年頃
ドラケンスバーグのサン人岩絵
南アフリカのドラケンスバーグ山脈に約3万5千〜4万点のサン人(ブッシュマン)の岩絵が残る。エランド(大型アンテロープ)の狩猟、トランス状態のシャーマンの踊り、雨乞いの儀式などが精巧な多色画で描かれてい
南アフリカ・ドラケンスバーグ山脈
1488年
バルトロメウ・ディアスの喜望峰到達
ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸の南端を初めて回航した。嵐に流されてアフリカ南端を通過し、東海岸のアルゴア湾に到達。帰路に岬を発見し「嵐の岬(カボ・ダス・トルメンタス)」と命名し
南アフリカ・喜望峰
1816〜1828年
シャカ・ズールーの軍事革命
ズールー族の首長シャカがクラン連合を統一し、革命的な軍事改革を実施。長槍を短槍(イクルワ)と大盾に替え、牛の角の陣形(両翼包囲)による近接戦闘戦術を確立。年齢ベースの連隊制度(アマブト)を導入し、規律
南アフリカ・クワズール・ナタール
1879年
ズールー戦争(イサンドルワナの戦い)
イギリスがズールー王国に最後通牒を突きつけて侵攻。1879年1月22日のイサンドルワナの戦いでは、約2万のズールー軍がイギリス正規軍約1700人を壊滅させ、ヴィクトリア朝イギリスに衝撃を与えた。同日の
南アフリカ・イサンドルワナ
1948年
南アフリカのアパルトヘイト制度の成立
1948年の総選挙で国民党(アフリカーナー)が勝利し、アパルトヘイト(「分離」の意)政策を法制化。人口登録法、集団地域法、パス法、混血禁止法、不道徳法などにより、人種間の分離が徹底された。国民の約80
南アフリカ・プレトリア
1960年
シャープビル虐殺
1960年3月21日、パス法(黒人に身分証の携帯を義務付ける法律)に抗議するデモ隊約5000〜7000人に対し、警察が発砲。69人が死亡(多くが背中を撃たれた)、約180人が負傷。非暴力のデモ参加者へ
南アフリカ・シャープビル
1962〜1990年
ネルソン・マンデラの逮捕と投獄
ANC(アフリカ民族会議)の指導者ネルソン・マンデラが1962年に逮捕され、リヴォニア裁判(1964年)で終身刑を宣告された。ロベン島刑務所で18年間、その後ポルスムーア刑務所、ヴィクター・フェルスタ
南アフリカ・ロベン島
1976年
ソウェト蜂起
1976年6月16日、アフリカーンス語での教育を強制する政策に抗議する約2万人の黒人生徒が行進。警察が催涙ガスと実弾で鎮圧し、13歳のヘクター・ピーターソンを含む多数の若者が射殺された。死者数は公式に
南アフリカ・ソウェト
1994年
南アフリカの民主化とマンデラ大統領就任
1990年のマンデラ釈放後、デクラーク大統領との交渉により平和的移行が実現。1994年4月27日の全人種参加の初の総選挙でANCが62.6%の得票で勝利し、マンデラが大統領に就任。真実和解委員会(TR
南アフリカ・プレトリア