インドネシアの歴史
21件の歴史的出来事
7世紀〜14世紀
シュリーヴィジャヤ海上帝国
スマトラ島南部を拠点に7世紀から約700年間、マラッカ海峡の海上交易を支配した仏教海洋帝国。中国の義浄は671年に訪れ、1,000人以上の僧侶が学ぶ仏教学術センターとして記録。唐・宋への朝貢貿易で莫大
インドネシア・スマトラ島パレンバン
8世紀末〜9世紀初頭
ボロブドゥールの建設
シャイレーンドラ朝が建設した世界最大の仏教遺跡。一辺約123mの基壇上に9層の階段ピラミッド(方形6層+円形3層)を積み上げ、頂上にストゥーパを置く。壁面の浮彫は全長約5kmに及び、仏伝と法華経の物語
インドネシア・ジャワ島中部
9世紀頃〜現在
ガムラン音楽の伝統
青銅製の打楽器アンサンブル。メタロフォン(鍵盤打楽器)、ゴング、太鼓などで構成され、数十人の奏者による重層的な音響を生み出す。ジャワ・ガムランとバリ・ガムランは異なるスタイルを持つ。ドビュッシーが18
インドネシア・ジャワ島・バリ島
9世紀中頃
プランバナン寺院群の建設
古マタラム朝(サンジャヤ朝)のバリトゥン王の時代に建設されたジャワ最大のヒンドゥー教寺院群。中央のシヴァ堂(高さ47m)を中心にブラフマー堂・ヴィシュヌ堂が並び、回廊にはラーマーヤナの浮彫が精緻に刻ま
インドネシア・ジャワ島中部
10世紀頃〜現在
ジャワのワヤン(影絵芝居)
水牛の革で作った精巧な人形を使い、スクリーンの背後から光を当てて影を映す伝統的人形劇。マハーバーラタとラーマーヤナのインド叙事詩をジャワ的に翻案した物語を、ダランと呼ばれる一人の人形遣いが一晩かけて語
インドネシア・ジャワ島
10世紀頃〜現在
インドネシアのバティック文化
蝋纈(ろうけつ)染めの技法で布に文様を施す伝統的な染織技術。チャンティンと呼ばれる蝋描き道具で蝋を塗り、染色する工程を繰り返す。宮廷では特定の文様が王族のみに許された「禁制文様」が存在した。2009年
インドネシア・ジャワ島
1293年〜1500年頃
マジャパヒト帝国の最盛期
クルタラージャサが元(モンゴル)軍の撤退後に建国。宰相ガジャ・マダの下で最盛期を迎え、「ヌサンタラ」(群島全域)の支配を誓約した「パラパの誓い」で知られる。現在のインドネシアの領域に近い広大な範囲に影
インドネシア・東ジャワ
15世紀〜17世紀
モルッカ諸島の香辛料貿易
「香辛料諸島」として知られたモルッカ諸島は、丁子とナツメグの世界唯一の産地として数世紀にわたり世界経済を動かした。ポルトガル(1512年到達)、スペイン、オランダ(VOC)が争奪戦を展開。VOCは16
インドネシア・モルッカ諸島(マルク諸島)
16世紀〜現在
バリ島のヒンドゥー文化の保持
インドネシアのイスラム化の中で、バリ島のみがヒンドゥー教を維持。マジャパヒト帝国滅亡時(15-16世紀)にジャワの貴族・僧侶・芸術家がバリに逃れ、ヒンドゥー・ジャワ文化が保存された。バリ・ヒンドゥーは
インドネシア・バリ島
16世紀〜17世紀
香辛料諸島(モルッカ諸島)の争奪
丁子(クローブ)とナツメグの世界唯一の産地であったモルッカ諸島をめぐり、ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリスが争奪戦を展開。オランダVOCが最終的に支配権を確立し、バンダ諸島では住民を虐殺・追放し
インドネシア・モルッカ諸島
1619年
オランダ東インド会社とバタヴィア建設
オランダ東インド会社(VOC)のヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャワ島のジャヤカルタを占領し、バタヴィア(現在のジャカルタ)を建設。東南アジアにおけるオランダ植民地帝国の首都として約350年間機能し
インドネシア・バタヴィア(ジャカルタ)
1814年(再発見)〜1983年(修復完了)
ボロブドゥールの再発見と修復
1814年にイギリス統治下のジャワで「再発見」されたボロブドゥールは、オランダ植民地期に部分的修復が行われ、1973-1983年にUNESCOとインドネシア政府の共同プロジェクトで大規模修復が実施され
インドネシア・ジャワ島中部
1815年4月
タンボラ山噴火と「夏のない年」
1815年4月10日、タンボラ山が人類の記録史上最大級の噴火を起こした。火山爆発指数(VEI)は7で、約160立方キロメートルの噴出物を放出した。噴火音は約2,600キロメートル離れたスマトラ島でも聞
インドネシア・スンバワ島
1830年〜1870年
オランダ領東インドの強制栽培制度
オランダ総督ファン・デン・ボスが導入した植民地搾取制度。ジャワ島の農民は耕地の5分の1で指定作物を栽培し、収穫物をオランダ政府に納入する義務を課された。実際にはそれ以上の労働が強制され、飢饉と貧困が蔓
インドネシア・ジャワ島
1883年8月26-27日
クラカタウ噴火
1883年8月26-27日、スンダ海峡のクラカタウ火山が壊滅的な噴火を起こした。火山爆発指数(VEI)は6で、約25立方キロメートルの噴出物を放出。8月27日の最大噴火の爆発音は約4,800キロメート
インドネシア・スンダ海峡
1945年8月17日
インドネシア独立宣言
スカルノとハッタが日本の降伏の2日後にインドネシアの独立を宣言。しかしオランダは独立を認めず、4年間にわたる独立戦争(1945-1949年)が展開された。国連の仲介とアメリカの圧力により、1949年1
インドネシア・ジャカルタ
1955年
バンドン会議(アジア・アフリカ会議)
1955年4月18-24日、29のアジア・アフリカ諸国の代表がインドネシアのバンドンに集結し、反植民地主義・反帝国主義を掲げた初の大規模な第三世界会議を開催した。インドのネルー、エジプトのナセル、イン
インドネシア・バンドン
1966年〜1998年
スハルト政権と新秩序体制
スハルトが9月30日事件(1965年)を契機にスカルノから実権を奪い、「新秩序」(オルデ・バル)体制を確立。32年間の権威主義体制下で経済成長を実現したが、汚職・癒着・縁故主義(KKN)が蔓延。199
インドネシア・ジャカルタ
1980年〜1988年
プラムディヤ・アナンタ・トゥールの文学
インドネシア最大の作家プラムディヤ・アナンタ・トゥール(1925-2006年)がブル島の政治犯収容所で口述した「ブル・カルテット」四部作(『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』『ガラスの家』)。イ
インドネシア・ジャカルタ
2004年12月26日
スマトラ島沖地震・津波
観測史上3番目に大きい地震がインドネシア・スマトラ島沖で発生し、インド洋全域に巨大津波が押し寄せた。14カ国で約23万人が死亡。最大の被害はインドネシアのアチェ州で約17万人が死亡。国際社会は過去最大
インドネシア・アチェ州
2004年12月26日
スマトラ島沖地震・インド洋大津波
2004年12月26日午前7時58分(現地時間)、スマトラ島沖でモーメントマグニチュード9.1の巨大地震が発生した。海底の垂直変動により発生した大津波はインド洋全域に伝播し、最大波高30メートル以上が
インドネシア・スマトラ島沖