フィリピンの歴史

8件の歴史的出来事

1521年
マゼランのフィリピン到来とラプラプの抵抗
世界一周航海中のフェルディナンド・マゼランがフィリピン諸島に到達。セブ島の首長フマボンをキリスト教に改宗させたが、マクタン島の首長ラプラプとの戦闘で戦死(マクタンの戦い、1521年4月27日)。ラプラ
フィリピン・セブ島〜マクタン島
1521年〜現在
フィリピンにおけるカトリックの伝来と定着
1565年のレガスピによるセブ征服以降、スペインのアウグスティノ会・フランシスコ会・ドミニコ会・イエズス会の修道士が組織的に布教を展開。教会が行政・教育・文化の中心となり、フィリピンは東南アジア唯一の
フィリピン・セブ島
1565年〜1898年
スペインのフィリピン植民地化
ミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島に上陸し、1571年にマニラを首都として植民地を建設。333年にわたるスペイン支配の下、カトリック教の布教、マニラ・ガレオン貿易(マニラ〜アカプルコ間の太平洋横断交
フィリピン・マニラ
1887年
ホセ・リサールの文学と民族覚醒
ホセ・リサール(1861-1896年)がスペイン語で書いた小説『ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)』(1887年)と続編『エル・フィリブステリスモ(反逆者)』(1891年)は、スペイン植民地支配とカト
フィリピン・マニラ
1896年〜1898年
フィリピン革命とホセ・リサール
知識人ホセ・リサール(1861-1896年)が小説『ノリ・メ・タンヘレ』で植民地支配を告発し、フィリピンのナショナリズムを覚醒させた。1896年にアンドレス・ボニファシオ率いるカティプナンが武装蜂起。
フィリピン・マニラ
1942年4月
バターン死の行進
バターン半島で降伏した約7万5千人のアメリカ・フィリピン連合軍捕虜が、日本軍により約100kmの徒歩行進を強制された。飢餓、脱水、暴行、処刑により数千〜1万人以上が死亡。米国では「バターン死の行進」と
フィリピン・バターン半島
1986年2月
ピープルパワー革命(エドゥサ革命)
マルコス独裁政権に対し、数百万のフィリピン市民がエドゥサ大通りに集結して非暴力の抗議運動を展開。カトリック教会のハイメ・シン枢機卿の呼びかけで軍の離反が拡大し、マルコスは国外逃亡。コラソン・アキノが大
フィリピン・マニラ
1991年6月15日
ピナトゥボ山噴火
20世紀最大級の火山噴火(VEI 6)。約10立方kmの火砕物を放出し、噴煙は高度34kmに達した。直接の死者は約800人であったが、事前の大規模避難により数万人の命が救われた。大量のエアロゾルが成層
フィリピン・ルソン島

他の地域