ペルシャの歴史
10件の歴史的出来事
紀元前550年〜前530年
キュロス2世のアケメネス朝ペルシャ建国
キュロス2世はペルシャのアンシャン王家から立ち、紀元前550年にメディア王国を征服して独立。続いてリディア王国(前546年)、新バビロニア(前539年)を滅ぼし、エジプト以外の古代オリエント全域を統一
ペルシャ・パサルガダエ
紀元前522年〜前486年
ベヒストゥン碑文とダレイオス1世の帝国整備
ダレイオス1世は簒奪者ガウマータを打倒して即位した後、各地の反乱を鎮圧。その経緯を古代ペルシャ語・エラム語・バビロニア語の三言語でベヒストゥンの断崖に刻ませた。帝国を20のサトラピー(属州)に分割し、
ペルシャ・ベヒストゥン
紀元前518年頃〜前330年
ペルセポリスの建設
ダレイオス1世が着工しクセルクセス1世が拡張したペルセポリスは、アケメネス朝の儀礼的首都であった。アパダナ(謁見の間)の階段浮彫には23の属州の使節が貢物を持参する姿が刻まれ、帝国の多民族性と統一を視
ペルシャ・ペルセポリス
紀元前334年〜前323年
アレクサンドロス大王のペルシャ征服とペルセポリス焼却
マケドニアのアレクサンドロス3世はグラニコス川(前334年)、イッソス(前333年)、ガウガメラ(前331年)の三大会戦でアケメネス朝を撃破。ダレイオス3世を追走し、紀元前330年にペルセポリスを占領
ペルシャ・ペルセポリス
紀元前247年頃〜紀元224年
パルティア帝国(アルサケス朝)の台頭
アルサケス1世がセレウコス朝から独立して建てたパルティア帝国は、イラン高原からメソポタミアに至る広大な領域を支配した。騎馬弓兵と重装騎兵(カタフラクト)による機動戦を得意とし、カルラエの戦い(前53年
ペルシャ・クテシフォン
224年〜651年
ササン朝ペルシャの建国
アルダシール1世がパルティア最後の王アルタバノス4世をホルムズドガーンの戦い(224年)で破り、ササン朝を建国した。ゾロアスター教を国教とし、中央集権的な行政制度を確立。クテシフォンを首都とし、ローマ
ペルシャ・イスタフル
531年〜579年
ホスロー1世の治世とササン朝の黄金期
ホスロー1世アヌーシルワーン(「不滅の魂」)はササン朝最大の名君と称される。マズダク教徒の反乱を鎮圧後、税制改革・軍制改革・行政改革を実施。ビザンツのユスティニアヌス帝と対峙し、アンティオキアを一時占
ペルシャ・クテシフォン
1025年頃
イブン・スィーナーの医学典範
イブン・スィーナー(アヴィケンナ)は『医学典範(アル・カーヌーン・フィッ・ティッブ)』を著し、ガレノスとヒポクラテスの医学を体系的に統合・発展させた。全5巻で薬物学、疾病分類、治療法を網羅。ラテン語に
ペルシャ・イスファハーン
1501年〜1736年
サファヴィー朝の成立とシーア派国教化
イスマーイール1世はサファヴィー教団の軍事力を背景にタブリーズを征服し、シーア派十二イマーム派を国教とするサファヴィー朝を建国した。これはイランのシーア派化の決定的転換点であった。赤い帽子のキズルバシ
ペルシャ・タブリーズ
1598年〜1629年
アッバース1世のイスファハーン遷都と「世界の半分」
サファヴィー朝のアッバース1世はイスファハーンに遷都し、イマーム広場(ナクシェ・ジャハーン=「世界の模範」)を中心とする壮大な都市計画を実施した。イマーム・モスク、シェイフ・ロトフォッラー・モスク、ア
ペルシャ・イスファハーン