チュニジアの歴史
10件の歴史的出来事
紀元前814年頃
カルタゴの建設
フェニキアの都市ティルスからの植民者がチュニス湾岸にカルタゴ(「新しい都市」の意)を建設。伝説ではティルスの王女エリッサ(ディド)が牛皮一枚分の土地という約束を巧みに解釈して広大な土地を確保したとされ
チュニジア・カルタゴ
紀元前146年
カルタゴの滅亡(第三次ポエニ戦争)
ローマの元老院議員カトーの「カルタゴは滅ぼされるべし」の繰り返し主張により、第三次ポエニ戦争が開始された。3年間の包囲戦の末、スキピオ・アエミリアヌスがカルタゴを陥落させた。住民約50万のうち生存者は
チュニジア・カルタゴ
429〜534年
ヴァンダル王国の北アフリカ支配
ゲルマン系のヴァンダル族がガイセリック王の指導下でイベリア半島から北アフリカに渡海し、約8万人が移住。439年にカルタゴを占領して王国の首都とした。強力な海軍を構築し、455年にはローマを略奪した。ア
チュニジア・カルタゴ
533〜534年
ビザンツ帝国の北アフリカ回復
ユスティニアヌス帝の命を受けた将軍ベリサリウスが、わずか1万5千の兵力でヴァンダル王国を攻撃。アド・デキムムとトリカマルムの二つの戦いでヴァンダル軍を撃破し、わずか数か月でカルタゴを奪還。ヴァンダル王
チュニジア・カルタゴ
647〜698年
イスラムの北アフリカ征服とカイラワーンの建設
正統カリフ時代からウマイヤ朝にかけて、アラブ軍が段階的に北アフリカを征服。647年のスベイトラの戦いでビザンツ軍を破り、670年にウクバ・イブン・ナーフィがカイラワーンを建設してマグレブの軍事拠点とし
チュニジア・カイラワーン
1332〜1406年
イブン・ハルドゥーンの活動
チュニス生まれのイスラム歴史家・社会学者。主著『歴史序説(ムカッディマ)』で文明の興亡の循環理論を提唱。遊牧民の「アサビーヤ(連帯意識)」が王朝の建設を可能にするが、都市化・文明化とともに衰退するとい
チュニジア・チュニス〜エジプト・カイロ
1881年
チュニジア保護国化
フランスがクルミール族の国境侵犯を口実にチュニジアに軍事介入し、バルドー条約(1881年5月)でチュニジアをフランスの保護国とした。1883年のラ・マルサ協定で保護国体制が確立。ベイ(チュニジアの君主
チュニジア・チュニス
1956年
チュニジア独立
ハビーブ・ブルギーバ率いる新立憲党(ネオ・デストゥール)が主導した独立運動により、チュニジアがフランス保護領から独立。ブルギーバは初代大統領となり、世俗主義的近代化政策を推進。個人身分法の改革により一
チュニジア・チュニス
1961年
フランツ・ファノン『地に呪われたる者』
マルティニーク出身の精神科医フランツ・ファノンがアルジェリア独立戦争に参加しながら執筆した革命的テキスト。植民地主義の暴力的構造を分析し、被植民者の暴力的解放を正当化した。サルトルが序文を寄せた。ファ
チュニジア・チュニス(執筆地)
2010〜2011年
ジャスミン革命(チュニジア)
2010年12月17日、シディ・ブジドの青果売りムハンマド・ブアジジが当局の嫌がらせに抗議して焼身自殺。これをきっかけに反政府デモが全土に拡大し、2011年1月14日にベン・アリ大統領が23年間の独裁
チュニジア・シディ・ブジド〜チュニス