エチオピアの歴史

9件の歴史的出来事

約320万年前(発見1974年)
ルーシーの発見(アウストラロピテクス・アファレンシス)
1974年にドナルド・ジョハンソンがエチオピアのハダールで発見した約320万年前の女性の類人猿化石。全骨格の約40%が保存されており、直立二足歩行をしていたことが証明された。発見時にキャンプで流れてい
エチオピア・ハダール
1〜7世紀
アクスム王国の繁栄
紅海交易を基盤としてエチオピア高原に繁栄した古代王国。巨大なオベリスク(ステラ、最大33m)を建造し、独自の文字(ゲエズ文字)と貨幣を持った。3世紀にはローマ、ペルシア、中国と並ぶ「世界の四大帝国」と
エチオピア・アクスム
330年頃
アクスム王国のキリスト教受容
アクスム王エザナがキリスト教に改宗し、国教とした。ティルスのフルメンティウスがアクスムに渡来しエザナ王を改宗させ、アレクサンドリア総主教により初代エチオピア大主教に任命された。これによりエチオピアは世
エチオピア・アクスム
12〜13世紀
ラリベラの岩窟教会群の建設
ザグウェ朝のラリベラ王が、エルサレムへの巡礼が困難になった信徒のために「新エルサレム」として建設した11の岩窟教会群。岩盤を上から彫り下げて作られた一枚岩の教会は、最大のものが高さ約10m。十字形平面
エチオピア・ラリベラ
1896年
アドワの戦い(エチオピアのイタリア軍撃破)
エチオピア皇帝メネリク2世が約10万のエチオピア軍を率いて、約1万7千のイタリア遠征軍をアドワで壊滅的に撃破。イタリア軍の死傷者は約1万人に達した。ウチャリ条約の解釈をめぐるイタリアとの対立が開戦の直
エチオピア・アドワ
1935〜1936年
エチオピア・イタリア戦争(第二次)
ムッソリーニのファシスト・イタリアがエチオピアに侵攻。毒ガスの大量使用と赤十字病院への爆撃を含む残虐な戦争により、1936年5月にアディスアベバを占領。ハイレ・セラシエ皇帝は国際連盟で演説し「今日は我
エチオピア・アディスアベバ
1963年
アフリカ統一機構(OAU)の設立
32のアフリカ独立国がアディスアベバに集まり、アフリカ統一機構(OAU)を設立。エンクルマの「アフリカ合衆国」構想と、各国主権を重視する穏健派の妥協の産物。植民地支配の完全終結、領土保全、内政不干渉を
エチオピア・アディスアベバ
1974〜1991年
エチオピアのデルグ政権と赤色テロ
1974年の革命で最後の皇帝ハイレ・セラシエが廃位され、軍事委員会デルグ(「委員会」の意)が権力を掌握。メンギスツ・ハイレ・マリアムが独裁者として君臨し、マルクス・レーニン主義を採用。1977-78年
エチオピア・アディスアベバ
2002年
アフリカ連合(AU)の設立
2002年7月にOAU(アフリカ統一機構)を改組してアフリカ連合(AU)が設立された。55の加盟国を擁し、欧州連合をモデルとした組織構造を持つ。平和安全保障理事会の設置により、OAU時代の「内政不干渉
エチオピア・アディスアベバ〜南アフリカ・ダーバン

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