中央アジアの歴史

33件の歴史的出来事

紀元前3500年頃〜前3000年頃
馬の馴化と騎馬文化の起源
カザフスタン北部のボタイ遺跡で馬の馴化の最古級の証拠が発見された。馬の歯の摩耗パターンがハミの使用を示し、土器には馬乳の脂肪酸残留物が検出された。馬の馴化は人類の移動能力を飛躍的に拡大させ、ユーラシア
中央アジア・カザフスタン
紀元前2200年頃〜前1700年頃
BMAC(バクトリア・マルギアナ考古学複合体)
1970年代にソ連の考古学者サリアニディにより発見された青銅器時代の都市文明。ゴヌール・デペでは要塞化された宮殿、神殿、灌漑システムが発見された。インダス文明やメソポタミアとの交易品が出土し、ラピスラ
中央アジア・トルクメニスタン/アフガニスタン
紀元前7世紀〜前3世紀
スキタイ文化の繁栄
イラン系の騎馬遊牧民スキタイは紀元前7世紀頃から黒海北岸を中心に勢力を拡大。動物闘争文様(アニマル・スタイル)と呼ばれる独特の金属工芸で知られ、黄金の装身具は古代世界でも最高水準の冶金技術を示す。ヘロ
中央アジア・ユーラシアステップ
紀元前5世紀〜前3世紀
パジリク古墳群の発見
1929年にソ連の考古学者ルデンコにより発掘されたスキタイ系遊牧民の古墳群。冷凍保存により世界最古のパイル織りカーペット(パジリク・カーペット)、精巧な馬具、刺青のある冷凍ミイラ(「アイス・プリンセス
中央アジア・アルタイ山脈
紀元前329年〜前326年
アレクサンドロス大王のバクトリア征服
アレクサンドロス大王がバクトリア・ソグディアナに遠征。ベッソスを捕えた後、スピタメネスの率いるソグド人のゲリラ抵抗に約2年間苦しんだ。ソグディアナ・ロック(岩壁要塞)を攻略し、現地の王女ロクサネと結婚
中央アジア・アフガニスタン/ウズベキスタン
紀元前250年頃〜前130年頃
グレコ・バクトリア王国
セレウコス朝から独立したギリシャ系の王国。ディオドトス1世が建国し、デメトリオス1世がインド北西部に進出。最も有名な王メナンドロス1世(ミリンダ王)は仏教に帰依し、『ミリンダ王の問い』としてパーリ語仏
中央アジア・バクトリア
紀元前209年
匈奴帝国の形成(冒頓単于)
冒頓(モードゥン)が父の頭曼単于を殺害して匈奴の単于(最高指導者)に即位し、周辺の遊牧民族を統合して最初の遊牧帝国を形成。漢の高祖劉邦を白登山で包囲(紀元前200年)し、和親政策(漢の公主の降嫁と歳幣
中央アジア・モンゴル
紀元前138年〜前126年
張騫の西域派遣とシルクロード開拓
紀元前138年、武帝は大月氏と同盟して匈奴を挟撃する目的で張騫を西域に派遣。張騫は匈奴に捕らえられ10年間抑留された後、脱出して大月氏に到達したが同盟は実現しなかった。しかし13年後に帰還した張騫がも
中央アジア
紀元前138年〜前126年
張騫の西域旅行
漢の武帝が匈奴挟撃のため大月氏と同盟を結ぶべく派遣した外交使節。匈奴に捕らわれ10年間拘束された後に脱出し、大月氏のもとに到達したが同盟は成立せず帰還。しかし西域の地理・民族・産物に関する貴重な情報を
中央アジア・ソグディアナ
73年〜102年
班超の西域経営
後漢の班超が西域都護として31年間にわたり中央アジアを経営。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の名言で知られる。匈奴の勢力を排除し、シルクロード交易を復活。部下の甘英をローマ帝国(大秦国)に派遣した。
中央アジア・西域
4世紀〜10世紀頃
ソグド人の交易ネットワーク
イラン系のソグド人はシルクロード交易の最も重要な担い手であった。サマルカンド、ブハラ、ペンジケントを拠点に、絹・ガラス・金属製品・香料を扱う広域交易ネットワークを構築。ソグド語はシルクロードの国際語と
中央アジア・ソグディアナ
366年〜10世紀頃
敦煌莫高窟の造営
紀元366年に僧侶楽僔が最初の石窟を開削して以来、約1000年間にわたり造営が続けられた仏教石窟寺院群。約500の石窟に45,000平方メートルの壁画と2,415体の彩色塑像が残る。1900年に道士王
中央アジア・河西回廊
552年〜744年
突厥帝国の建国
チュルク系遊牧民がブミン・カガンの下で柔然を打倒し建国。最盛期にはモンゴルからビザンツ帝国の国境まで及ぶ広大な帝国を形成。582年に東西に分裂。東突厥はオルホン碑文(732年)を残し、チュルク語の最古
中央アジア・モンゴル
744年〜840年
ウイグル帝国とマニ教の受容
チュルク系ウイグル族が突厥帝国を打倒して建国。762年にウイグルのカガン(ベグ・カガン)がマニ教に改宗し、遊牧帝国として初めてマニ教を国教に採用した異例の出来事。唐の安史の乱(755-763年)の鎮圧
中央アジア・モンゴル
751年
タラス河畔の戦い
唐帝国の高仙芝将軍率いる軍勢がアッバース朝の将軍ズィヤード・イブン・サーリフの軍に敗北した戦い。カルルク族の裏切りが唐軍の敗因とされる。唐の中央アジアへの進出が頓挫し、以後イスラム勢力が中央アジアを支
中央アジア・キルギス/カザフスタン
819年〜999年
サーマーン朝とペルシア文学の復興
イラン系のサーマーン朝はブハラを首都に中央アジアとイラン東部を支配。アッバース朝の宗主権を認めつつ事実上独立。ペルシア語文学の復興を主導し、詩人ルーダキーが「ペルシア詩の父」として活躍。医学者イブン・
中央アジア・ブハラ
10世紀〜13世紀
カラハン朝と中央アジアのイスラム化
チュルク系遊牧民による最初のイスラム王朝。サトゥク・ブグラ・カンが10世紀半ばにイスラムに改宗したとされる。999年にサーマーン朝を滅ぼしブハラを征服。マフムード・カーシュガリーの『チュルク語集成』(
中央アジア・マー・ワラー・アンナフル
1206年
チンギス・カンのモンゴル統一
テムジンがモンゴル高原の遊牧民諸部族を統一し、大クリルタイでチンギス・カン(大いなる支配者)の称号を得た。十進法に基づく軍事組織、ヤサ(法典)の制定、メリトクラシー(能力主義)の採用により、史上最大の
中央アジア・モンゴル
1370年〜1405年
ティムールの征服とサマルカンド建設
チャガタイ・ハン国の混乱の中から台頭したティムール(タメルラン)がサマルカンドを首都にティムール帝国を建国。イラン、小アジア(アンカラの戦い1402年)、インド(デリー略奪1398年)に遠征し、広大な
中央アジア・サマルカンド
1420年代〜1449年
ウルグ・ベクの天文台
ティムールの孫ウルグ・ベクが建設した中世世界最大・最精密の天文台。半径約40mの巨大な六分儀を備え、1018個の星の位置を記録した星表(ズィージ・イ・スルタニー)を編纂した。恒星年の長さを365日6時
中央アジア・サマルカンド
1500年〜1920年
ブハラ・ハン国の繁栄
シャイバーニー朝がティムール朝を駆逐して建国。ウズベク三ハン国(ブハラ・ヒヴァ・コーカンド)の中で最も権威ある国家。イスラム学問の中心として「イスラムの柱」の異名を持ち、中央アジア全域から留学生を集め
中央アジア・ウズベキスタン
1511年〜1920年
ヒヴァ・ハン国と奴隷交易
アム川下流域のホラズム地方を支配したウズベク系ハン国。ペルシャやカザフから捕らえた奴隷の交易で悪名高く、ロシア人奴隷の解放が後のロシアの征服の口実の一つとなった。壮大な建築群(イチャン・カラ)を残し、
中央アジア・ホラズム
1747年〜1826年
ドゥッラーニー朝の建国
パシュトゥーン族のアフマド・シャー・ドゥッラーニーがナーディル・シャーの死後にアフガニスタン最初の統一国家を建国。最盛期には現在のアフガニスタン、パキスタン東部、イラン東部、インド北西部を支配。第三次
中央アジア・アフガニスタン
1924年〜1990年
モンゴル人民共和国の成立
ソ連の支援を受けてモンゴル人民革命党が建国したアジアで2番目の社会主義国。チョイバルサンの下でソ連型の粛清・集団化が実施され、仏教寺院の約700が破壊、僧侶約1万7千人が殺害された。遊牧の集団化は部分
中央アジア・モンゴル
1930年〜1933年
カザフスタン大飢饉
スターリンの集団農場化(コレクティヴィゼーション)政策によりカザフ遊牧民が強制的に定住・集団化された結果、推定150万人(カザフ人口の約40%)が飢餓で死亡。家畜の約80%(約700万頭)が失われた。
中央アジア・カザフスタン
1939年5月〜9月
ノモンハン事件(ハルハ河戦争)
モンゴル・満州国境でソ連・モンゴル連合軍と日本・満州国軍が衝突。ソ連軍のジューコフ将軍が大規模な機甲部隊による包囲殲滅戦を展開し、日本軍は壊滅的な敗北を喫した。日本側の損害は約2万人。1939年9月の
中央アジア・モンゴル/満州国境
1949年〜1989年
セミパラチンスク核実験場
ソ連が1949年8月29日に最初の核実験を行った場所。1989年の閉鎖までに456回の核実験(うち116回は地上・大気圏内)が実施された。周辺住民約150万人が放射能に被曝し、癌・先天性異常の発生率が
中央アジア・カザフスタン
1957年〜
バイコヌール宇宙基地とガガーリンの飛行
1955年に建設されたソ連の宇宙基地。1957年10月4日にスプートニク1号(世界初の人工衛星)を打ち上げ、1961年4月12日にユーリ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行を達成。現在もロシアが賃借して
中央アジア・カザフスタン
1960年代〜現在
アラル海の縮小
ソ連の綿花増産政策のためアム川・シル川から灌漑用水を大量に取水した結果、アラル海は1960年代の68,000平方kmから2014年には約10%以下に縮小。「20世紀最大の環境災害」と呼ばれる。漁業の壊
中央アジア・ウズベキスタン/カザフスタン
1979年〜1989年
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年12月27日、ソ連軍がカーブルに侵攻し、アミーン大統領を殺害してカルマルを擁立。10年間の戦争で約15,000人のソ連兵と約100万〜200万人のアフガン人が死亡。約600万人が難民となった
中央アジア・アフガニスタン
1990年
モンゴルの民主化
1989年12月から民主化運動が始まり、1990年3月にモンゴル人民革命党が一党独裁を放棄。同年7月に初の自由選挙が実施された。ソ連圏の民主化の波の中で、モンゴルは血を流すことなく平和的に複数政党制民
中央アジア・モンゴル
1996年〜2021年
ターリバーン政権とアメリカの介入
パシュトゥーン系イスラム原理主義組織ターリバーンが1996年にカーブルを制圧し政権を樹立。女子教育の禁止、厳格なシャリーア法の施行で国際的に孤立。2001年の9.11テロ後、アメリカがアルカイダ掃討の
中央アジア・アフガニスタン
2005年3月
キルギスのチューリップ革命
2005年の議会選挙の不正に抗議する民衆運動がアカエフ大統領の退陣を招いた。グルジアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)に続く「カラー革命」の一つ。バキエフが後任大
中央アジア・キルギス

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