概要
1851年2月にニューサウスウェールズのバサーストで、同年8月にビクトリアのバララットとベンディゴで大規模な金鉱が発見された。世界中から採掘者が殺到し、ビクトリア植民地の人口は数年で3倍に膨れ上がった。中国人鉱夫も約4万人が流入した。1854年のユーレカ砦の反乱では、採掘許可証制度に反対する鉱夫がバリケードを築いて軍と衝突した。
歴史的背景
カリフォルニア・ゴールドラッシュ(1848-49年)の影響でオーストラリアでも金鉱探査が活発化した。エドワード・ハーグレイブスはカリフォルニアでの経験を活かしてニューサウスウェールズで金を発見。ビクトリア植民地政府は発見者への報奨金を提示して積極的に金鉱探査を奨励した。流刑植民地から自由植民地への転換期にあたり、ゴールドラッシュは社会変革の加速装置となった。
地形・地理的特徴
ビクトリア植民地中央部のバララットおよびベンディゴ周辺は、グレートディヴァイディング山脈の西麓に位置する丘陵地帯。古生代の堆積岩層と石英脈に金鉱脈が含まれ、沖積層の砂金も豊富であった。乾燥した内陸気候と限られた水源は採掘者に過酷な環境を課し、水利権をめぐる紛争が頻発した。
歴史的重要性
オーストラリアの人口構成・社会構造を根本的に変革した。ユーレカ砦の反乱はオーストラリア民主主義の発祥とされ、男子普通選挙と秘密投票の導入を促した。一方で中国人排斥運動が激化し、後の白豪主義政策の源流となった。経済的にはメルボルンを世界有数の富裕都市に変え、オーストラリアの国際的地位を飛躍的に高めた。
参考文献
- Serle, G. 'The Golden Age: A History of the Colony of Victoria' (1963)
- Goodman, D. 'Gold Seeking: Victoria and California in the 1850s' (1994)