概要
ウィーン革命に触発され、ミラノで五日間蜂起(3月18-22日)が起きオーストリア軍を撤退させた。ヴェネツィアではダニエレ・マニンが共和国を復活させ、ローマではマッツィーニがローマ共和国を宣言した。しかしオーストリア軍の反攻と仏軍の介入で全て鎮圧された。
歴史的背景
リソルジメント運動の高揚と1848年革命の連鎖反応により、イタリア各地で反オーストリア・反旧体制の蜂起が同時多発した。カルロ・アルベルトのサルデーニャ軍がオーストリアに宣戦したが、クストーツァの戦いで敗北した。
地形・地理的特徴
ミラノの五日間蜂起では狭い路地を活用したバリケード戦が展開され、ヴェネツィアの潟と運河は防御に適していた。ローマでは共和国が宣言されたが、フランス軍の介入で崩壊した。
歴史的重要性
1848年革命は軍事的には失敗したが、イタリア統一の必然性を広く認識させた。「自力での統一」の限界が明らかとなり、外国の同盟者(フランス)の必要性が認識され、カヴールの現実主義外交の路線を準備した。
参考文献
- デニス・マック・スミス『イタリア・リソルジメントの形成』