概要
ワイタンギ条約後のマオリとイギリス入植者・植民地政府間の一連の武力衝突。ノースランドのフラッグスタッフ戦争(1845-46年)に始まり、タラナキ戦争、ワイカト侵攻(1863-64年)、ティトコワルの抵抗、テ・クーティの抗戦まで約30年にわたった。マオリ王運動(キンギタンガ)は部族統合と土地防衛を目指したが、1600名以上のマオリが死亡し、大量の土地が没収された。
歴史的背景
ワイタンギ条約の曖昧な条文をめぐり、マオリの土地所有権と植民地政府の統治権が衝突した。急増する入植者の土地需要、政府による土地購入の強引さ、マオリ社会内部の分裂が紛争を激化させた。イギリス正規軍に加えてオーストラリアからの援軍、マオリの政府協力派(クーパパ)も戦闘に参加した。
地形・地理的特徴
ニュージーランド北島の多様な地形が戦場となった。マオリのパー(要塞集落)は丘陵上に築かれ、柵、壕、地下壕を備えた精巧な防御施設であった。タラナキ地方の火山性台地、ワイカト地方の河川・湿地帯、ベイ・オブ・プレンティの森林地帯など、マオリは地形を巧みに利用して優勢なイギリス軍に抵抗した。
歴史的重要性
マオリの土地収奪の決定的局面であり、その影響は現在まで続いている。しかしマオリの軍事的抵抗はイギリス軍をしばしば苦しめ、パー要塞の防御戦術は軍事史上高く評価されている。1975年設立のワイタンギ審判所は戦争期の土地没収を条約違反と認定し、各部族への補償交渉が現在も進行中である。
参考文献
- Belich, J. 'The New Zealand Wars and the Victorian Interpretation of Racial Conflict' (1986)
- Keenan, D. 'Wars Without End' (2009)