概要

1838-39年、アンドリュー・ジャクソン大統領のインディアン移住法(1830年)に基づき、チェロキー族約16000人がジョージアからオクラホマのインディアン準州に強制移住させられた。行軍中に約4000人(全体の25%)が寒さ、飢え、病気で死亡した。チェロキー語ではヌナヒ・ドゥナトロヒルイ(「涙の道」)と呼ばれる。

歴史的背景

チェロキー族はヨーロッパ文化を積極的に受容し、独自の文字(セクォイアが開発したチェロキー文字)、新聞、成文憲法を持つ「文明化五部族」の一つであった。ジョージア州での金鉱発見が白人の土地欲を刺激し、最高裁のウースター対ジョージア州判決(1832年、チェロキーの主権を認定)をジャクソンは無視した。

地形・地理的特徴

ジョージア州・テネシー州の山岳・森林地帯からオクラホマ(インディアン準州)まで約2000km。アパラチア山脈を越え、テネシー川・ミシシッピ川を渡る過酷なルート。冬季の移動は凍結した河川と氷雪に阻まれ、多くの犠牲者を出した。

歴史的重要性

アメリカの先住民政策における最も暗い一章として記憶され、「文明化」しても受け入れられなかった事実が先住民排除の本質を示す。ジャクソン・デモクラシーの暴力的側面を象徴し、後の先住民居留地政策の先例となった。2009年に「涙の道国立歴史トレイル」が指定された。

参考文献

  • Ehle, Trail of Tears
  • Perdue & Green, The Cherokee Nation and the Trail of Tears