概要
1824年12月9日、アントニオ・ホセ・デ・スクレ率いる愛国軍約5780名がスペイン副王ラ・セルナ率いる王党派軍約9310名と激突した。数的劣勢にもかかわらず、スクレの巧みな戦術と愛国軍の高い士気により約1時間で決着がついた。ラ・セルナ副王は負傷して捕虜となり、降伏文書が調印された。南米大陸におけるスペイン植民地支配の最後の大規模戦闘となった。
歴史的背景
ボリバルは1823年にペルーに招かれ独裁的権限を付与された。1824年8月のフニンの戦いでスペイン騎兵隊を破った後、副官スクレにペルー南部の作戦を委任した。スペイン軍は内部分裂と補給困難に苦しんでおり、王党派勢力の最後の拠点であるクスコ周辺の山岳地帯に追い詰められていた。
地形・地理的特徴
アンデス山脈中央部の標高約3300メートルの高原キヌア平原。アヤクチョ市の北西約37kmに位置し、周囲を山に囲まれた盆地状の地形であった。高地の低酸素環境は海岸部出身のスペイン軍に不利に作用し、先住民兵士を多く含む愛国軍に地の利があった。
歴史的重要性
南アメリカ大陸における300年にわたるスペイン植民地支配に終止符を打った決定的戦闘。この戦いの結果、上ペルー(現ボリビア)がボリバルに因んで命名されたボリビアとして独立した。ラテンアメリカの独立戦争を事実上終結させ、旧スペイン帝国の解体を確定した。
参考文献
- Timothy Anna, The Fall of the Royal Government in Peru
- John Fisher, Bourbon Peru, 1750-1824