概要
1817年1月、ホセ・デ・サン・マルティン率いるアンデス軍(約5400名、騎兵・砲兵含む)がメンドーサを出発し、6つの経路に分かれてアンデス山脈を越えた。21日間の行軍で兵力の約3分の1と馬の半数を失いながらも、2月12日のチャカブコの戦いでスペイン軍を破りサンティアゴに入城した。この作戦はナポレオン戦争の戦術を応用した精密な計画に基づいていた。
歴史的背景
サン・マルティンはスペイン軍で経験を積んだ職業軍人であり、半島戦争でナポレオン軍と戦った経験を持つ。南米解放にはチリとペルーの制圧が不可欠と判断し、メンドーサで2年をかけて軍の編成と訓練を行った。偽情報工作でスペイン軍の防備を分散させる巧みな陽動作戦も実施した。
地形・地理的特徴
アンデス山脈の最も高い区間を横断する行軍で、標高3000〜4700メートルの峠を越える必要があった。ウスパリャタ峠とロス・パトス峠を主要経路とし、極寒・低酸素・険しい岩場という過酷な環境であった。メンドーサからサンティアゴまでの直線距離は約200kmだが、実際の行軍路は数百kmに及んだ。冬季のアンデス越えはハンニバルのアルプス越えに比肩される。
歴史的重要性
チリ解放の決定打となり、翌1818年のマイプーの戦いでチリ独立が確定した。サン・マルティンはさらに海路でペルーに進軍し、1821年にリマを解放した。ボリバルと並ぶ南米の「解放者」として広く尊敬され、アルゼンチン・チリ・ペルーの国父として崇められている。
参考文献
- John Lynch, San Martín: Argentine Soldier, American Hero
- Patricia Pasquali, San Martín: La fuerza de la misión y la soledad de la gloria