概要

ナポレオンがロシア皇帝アレクサンドル1世とオーストリア皇帝フランツ2世の連合軍を撃破した「三帝会戦」。ナポレオンは右翼を故意に弱く見せて連合軍をプラツェン高地から引きずり出し、中央のスルト軍団が高地を奪取して敵軍を分断した。連合軍の損害は約2万7千、仏軍は約9千。

歴史的背景

第三次対仏大同盟(イギリス、オーストリア、ロシア、スウェーデン)がナポレオンに対抗して形成された。トラファルガーの海戦(1805年10月21日)でイギリスに制海権を奪われたナポレオンは、大陸での決定的勝利を必要としていた。

地形・地理的特徴

ブルノ近郊のアウステルリッツ(現スラフコフ・ウ・ブルナ)周辺の丘陵地帯。プラツェン高地が戦場の中央を占め、ナポレオンは故意にこの高地を放棄して連合軍を誘い込んだ。12月の早朝の霧が仏軍の中央突破を支援した。

歴史的重要性

ナポレオンの軍事的天才の頂点とされる会戦。プレスブルクの和約でオーストリアは多大な領土を喪失し、神聖ローマ帝国の解体(1806年)につながった。ナポレオン戦術の教科書的事例として軍事学校で今日も研究される。

参考文献

  • ロバート・ゲッツ『アウステルリッツ1805年』
  • デイヴィッド・チャンドラー『ナポレオンの戦役』