概要

ジャコバン派の指導者マクシミリアン・ド・ロベスピエールが公安委員会を通じて独裁的権力を行使した恐怖政治の時代。革命裁判所が簡易な裁判で大量の死刑判決を下し、パリだけで約2600人、フランス全土で推定1万6千〜4万人がギロチンで処刑された。ダントン、エベール、デムーランなど革命の同志も処刑された。

歴史的背景

外国軍の侵入、ヴァンデの反乱、ジロンド派の追放、食糧危機という「共和国の危機」に対応するため、国民公会は「革命政府」を樹立。ロベスピエールは「徳なき恐怖は致命的、恐怖なき徳は無力」と述べ、恐怖政治を正当化した。

地形・地理的特徴

パリのチュイルリー宮殿内に設置された公安委員会が恐怖政治の中枢となった。革命裁判所はパリのコンシエルジュリーで開廷し、被告は近隣のギロチンへ直接送られた。パリの各セクション(区)が監視と密告のネットワークを形成した。

歴史的重要性

革命的理想主義がテロルに転化する典型的事例として政治思想史に深い影響。1794年7月27日(テルミドール9日)の反動でロベスピエール自身がギロチンにかけられた。全体主義的統治の近代的原型として、20世紀の独裁体制の先駆と見なされる。

参考文献

  • マルセル・ドルリヴィエ『ロベスピエール伝』
  • ピーター・マクフィー『ロベスピエール 革命の生涯』