概要
国民公会の裁判でルイ16世(「ルイ・カペー」と呼ばれた)が反逆罪で有罪判決を受け、ギロチンで処刑された。賛成387対反対334の僅差で死刑が決定。処刑人シャルル=アンリ・サンソンが執行し、助手が国王の首を群衆に示した。
歴史的背景
1792年8月10日事件でテュイルリー宮殿が襲撃され王権が停止。ヴァルミーの戦いの勝利後に共和政が宣言された。国王の運命をめぐりジロンド派(追放を主張)とモンターニュ派(処刑を主張)が激しく対立した。外国との交戦状態が王の処刑を後押しした。
地形・地理的特徴
処刑はレヴォリューション広場(現コンコルド広場)で行われた。テュイルリー宮殿とシャンゼリゼの間に位置するこの広場は、パリの都市計画の中心軸上にあり、公開処刑の場として革命の恐怖を最大限に可視化する効果があった。約2万人の群衆が処刑を目撃した。
歴史的重要性
ヨーロッパの君主制に対する前例のない挑戦であり、ヨーロッパ諸国の反仏大同盟(対仏大同盟)の結成を促した。フランス革命の急進化の象徴であり、恐怖政治(テルール)への道を開いた。同年10月にはマリー・アントワネットも処刑された。
参考文献
- デイヴィッド・ジョーダン『国王の裁判』
- ティモシー・タケット『ルイ16世の逃亡』