概要
1784年、李承薫が北京で洗礼を受けて帰国し、朝鮮初のカトリック信者となった。「西学」として知識人層に広まったが、祖先祭祀の拒否が儒教秩序への挑戦と見なされた。辛酉迫害(1801年)では中国人神父・周文謨をはじめ約300人が殉教。丁若鎔の兄・丁若鐘も処刑された。
歴史的背景
天主教は18世紀後半に北京の教会を通じて伝来。朝鮮では珍しく、宣教師によらず知識人の自発的な受容で始まった。しかし「万人平等」の教義と祭祀拒否は両班支配体制を根底から脅かすものであった。
地形・地理的特徴
漢陽の明洞一帯がカトリック信者の活動拠点。切頭山(マポ区)は処刑場として多数の信者が殉教した場所で、漢江沿いの小高い丘がその舞台となった。
歴史的重要性
朝鮮が西洋文明と最初に深く接触した事件。約1万人の殉教者は2014年に教皇フランシスコにより列福された。韓国カトリックの歴史は信仰者の自発的受容という世界的にも特異な形態として注目される。
参考文献
- 朝鮮王朝実録
- 韓国天主教史