概要
1773年12月16日夜、サミュエル・アダムズらが率いる約150人の植民地人がモホーク族に変装してボストン港に停泊中の3隻の船に乗り込み、342箱の茶(約4万6千ポンド、現在の約170万ドル相当)を海に投棄した。茶法(Tea Act)による東インド会社の茶独占販売と「代表なくして課税なし」の原則への抗議であった。
歴史的背景
1765年の印紙法以降、イギリス議会の課税に対する植民地人の反発が高まっていた。タウンゼント諸法(1767年)、ボストン虐殺事件(1770年)を経て対立が先鋭化。茶法は茶の価格を下げる措置だったが、イギリス議会の課税権を認めることになるため植民地人が拒否した。
地形・地理的特徴
ボストン港は天然の良港で、植民地時代の主要貿易港。港に停泊した東インド会社の茶船3隻が事件の舞台となった。ボストンの狭い半島状の地形は市民の集会と動員を容易にした。
歴史的重要性
イギリスは報復として懲罰的法律(耐え難き諸法)を制定し、ボストン港を閉鎖。これが植民地間の結束を促し、第一回大陸会議(1774年)の開催、さらに独立戦争へと直結した。アメリカ革命の最も象徴的な事件の一つ。
参考文献
- Labaree, The Boston Tea Party
- Carp, Defiance of the Patriots