概要

ロシア、プロイセン、オーストリアの三大国がポーランド・リトアニア共和国を三度にわたり分割・消滅させた。第1回(1772年)で約30%、第2回(1793年)でさらに大幅な領土を喪失。コシュシューシコの蜂起(1794年)が鎮圧された後、第3回分割(1795年)で国家が完全に消滅し、ポーランドは123年間地図から姿を消した。

歴史的背景

ポーランド・リトアニア共和国は選挙王政と自由拒否権(リベルム・ヴェト)により政治的麻痺に陥っていた。1791年の5月3日憲法で改革を試みたが、ロシアのエカチェリーナ2世がこれを阻止。ポーランドの弱体化を利用して周辺三国が分割を合意した。

地形・地理的特徴

ポーランド・リトアニア共和国は中央ヨーロッパの広大な平野に位置し、天然の防衛線を持たない地理的弱点があった。ヴィスワ川流域の肥沃な農地とバルト海への出口が周辺大国の欲望の対象となった。

歴史的重要性

国際法を無視した大国による小国の消滅という先例を作り、19-20世紀の帝国主義の原型。ポーランド人の民族意識を逆説的に強化し、ショパン、ミツキェヴィチらのロマン主義的愛国運動を生んだ。1918年にようやく独立を回復した。

参考文献

  • ノーマン・デイヴィス『神の遊び場 ポーランドの歴史』
  • イェジ・ルコフスキ『ポーランド分割』