概要

アフガニスタンのドゥッラーニー朝アフマド・シャーがマラーター同盟軍を壊滅的に撃破した18世紀アジア最大の戦い。双方合わせて約15万人の兵力が激突し、マラーターは推定4万〜7万人の死者を出した。マラーターの指導者サダーシヴ・ラーオ・バーウ、ヴィシュワース・ラーオが戦死。

歴史的背景

マラーター同盟は18世紀半ばにインド亜大陸の覇権を握りつつあったが、北インドへの拡大がドゥッラーニー朝の利害と衝突した。マラーター軍は遠征に伴う兵站線の延伸と、現地勢力の支援不足に苦しんだ。

地形・地理的特徴

パーニーパットの平原は過去にも二度決定的な戦いが行われた歴史的戦場。デリー北方の開けた平野は大軍の展開に適し、18世紀最大規模の会戦の舞台となった。

歴史的重要性

マラーター同盟の北インド覇権の夢を打ち砕いた決定的な戦い。インド亜大陸における覇権の空白が生じ、結果的にイギリス東インド会社の台頭を促した。「マラーターがパーニーパットで負けなければインドは植民地にならなかった」とも論じられる。

参考文献

  • T.S. Shejwalkar, Panipat 1761, 1946
  • Jos Gommans, Mughal Warfare, 2002