概要
イギリス東インド会社のロバート・クライヴがベンガル太守シラージュ・ウッダウラを破った戦い。クライヴ軍は約3千人に対し、太守軍は5万人を擁したが、太守の将軍ミール・ジャアファルの裏切りにより大勢が決した。実際の戦闘はわずか数時間で終結した。
歴史的背景
イギリス東インド会社は1756年のカルカッタ占領(ブラックホール事件)への報復を名目に軍を進めた。クライヴはミール・ジャアファルとの密約で太守軍の分裂を画策し、実質的には軍事クーデターを工作した。
地形・地理的特徴
フーグリー川東岸のプラッシー(パラーシー)はマンゴー園に囲まれた平地。モンスーン前の暑季で、ベンガル太守軍の火薬が雨で湿り使用不能になった一方、イギリス軍は防水措置を取っていた。
歴史的重要性
イギリスのインド支配の出発点として世界史上最も重要な戦いの一つ。この勝利によりイギリスはベンガルの実質的な支配権を獲得し、インド亜大陸征服の基盤を築いた。植民地主義の時代における転換点。
参考文献
- Robert Harvey, Clive: The Life and Death of a British Emperor, 1998
- Sushil Chaudhury, The Prelude to Empire, 2000