概要

七年戦争の北アメリカ戦線。イギリスとその植民地が、フランスとその先住民同盟者に対して戦った。若きジョージ・ワシントンが初期にフォート・ネセシティで敗北。1759年のエイブラハム平原の戦い(ウルフ将軍vsモンカルム将軍、両者とも戦死)でケベックが陥落し、1763年のパリ条約でフランスは北アメリカの領土をほぼ全て喪失した。

歴史的背景

オハイオ川流域の毛皮交易と土地をめぐる英仏の争いが直接の原因。イロコイ連邦は中立を保とうとしたが内部分裂し、多くの先住民はフランス側についた。フランスの植民者は少数だが先住民との関係が良好であり、対してイギリスの植民者は数的に優勢であった。

地形・地理的特徴

五大湖からセント・ローレンス川、オハイオ川流域、アパラチア山脈にかけての広大な森林地帯が戦場となった。ケベックの崖上の要塞、フォート・タイコンデロガ、フォート・デュケーン(現ピッツバーグ)などの要塞が戦略的拠点。森林と河川が戦術を規定し、正規軍だけでなくレンジャーと先住民の非正規戦が重要であった。

歴史的重要性

フランスの北アメリカ帝国の終焉を意味し、英語圏北アメリカの基盤が確立された。戦費負担を植民地に転嫁しようとしたイギリスの課税政策がアメリカ独立革命の直接的原因となった。パリ条約後のポンティアック戦争と国王宣言線(アパラチア以西への植民禁止)も独立運動の導火線に。

参考文献

  • Anderson, Crucible of War
  • White, The Middle Ground