概要
イランのアフシャール朝のナーディル・シャーがムガル帝国に侵攻し、カルナールの戦いでムガル軍を撃破。デリーに入城し、住民の暴動をきっかけに大虐殺を命じ、推定2万〜3万人を殺害。孔雀の玉座(タフテ・ターウース)とコ・イ・ヌール・ダイヤモンドを含む莫大な財宝を持ち去った。
歴史的背景
アウラングゼーブの死後(1707年)、ムガル帝国は急速に衰退し、地方勢力の自立化が進んでいた。ナーディル・シャーはアフガニスタンのムガル属州がイラン領だと主張して侵攻の口実を得た。
地形・地理的特徴
カルナールの平原での戦闘の後、デリーに進軍。ムガル帝国の首都デリーは防衛力が著しく低下しており、ナーディル・シャーの軍をほとんど阻止できなかった。
歴史的重要性
ムガル帝国の無力さを白日の下にさらし、帝国が事実上終焉したことを世界に示した。この政治的空白がマラーター同盟の拡大とイギリス東インド会社の台頭を加速させた。
参考文献
- Michael Axworthy, The Sword of Persia, 2006
- William Dalrymple, The Last Mughal, 2006