概要

朝鮮第21代王・英祖と第22代王・正祖が約76年間にわたって推進した政治改革。朋党間の均衡人事(蕩平策)により、老論・少論・南人・北人の党派対立の調整を図った。正祖は奎章閣を設置して国王直属の学問・政策機関とし、王権強化を推進した。

歴史的背景

17世紀以降、朝鮮の政治は老論・少論・南人・北人の四党派の激しい権力闘争に支配された。換局(政権交代)のたびに敗者は処刑・流配され、国政の安定が著しく損なわれていた。

地形・地理的特徴

漢陽の宮城と成均館が朋党政治の中心舞台。英祖・正祖は宮城内の政治空間を再編し、蕩平碑を成均館前に建立して党派超越の意思を示した。

歴史的重要性

朝鮮後期の政治的安定と文化的繁栄(朝鮮のルネサンス)を実現。実学の発展、商業の成長、文芸の隆盛が見られた。しかし正祖の急死(1800年)後、蕩平策は崩壊し、勢道政治への道が開かれた。

参考文献

  • 朝鮮王朝実録