概要

オスマン帝国の大宰相カラ・ムスタファ・パシャが約15万の大軍でウィーンを包囲。シュターレンベルク伯が約1万5千の守備隊で約2ヶ月間持ちこたえた。ポーランド王ヤン3世ソビエスキーが率いる約7万の救援軍が到着し、カーレンベルクの戦いでオスマン軍を撃破。ポーランド騎兵(フサリア)の突撃が決定的であった。

歴史的背景

オスマン帝国はハンガリーの支配権をめぐりハプスブルク家と対立。ハンガリーの反ハプスブルク勢力テケリ・イムレの反乱に乗じて大規模遠征を決行した。教皇インノケンティウス11世がキリスト教諸国の連合を仲介した。

地形・地理的特徴

ウィーンはドナウ川南岸の平野から丘陵地帯への移行部に位置する。城壁と堡塁による防御体系はトルコ軍の攻撃に耐えたが、坑道戦による城壁爆破の脅威が深刻だった。カーレンベルクの丘からの連合軍の突撃が決戦の鍵となった。

歴史的重要性

オスマン帝国のヨーロッパ進出の最終的な頂点と転換点。以後オスマンは後退を続け、カルロヴィッツ条約(1699年)でハンガリーをハプスブルクに割譲した。ヨーロッパのキリスト教世界の自信回復と、オスマン帝国の長期的衰退の始まり。

参考文献

  • ジョン・ストイエ『ウィーン包囲1683年』
  • アンドリュー・ウィートクロフト『敵の門前にて』