概要

1665年春、ロンドン郊外のセント・ジャイルズ教区でペストが発生し、夏季に爆発的に拡大した。ピーク時の1665年9月には週あたり7,000人以上が死亡した。国王チャールズ2世と宮廷はオックスフォードに避難し、富裕層も田舎に疎開した。感染家屋には赤い十字が描かれ、「Lord have mercy upon us」と記された。最終的な死者数は推定10万人に達し、ロンドン人口の約4分の1が失われた。

歴史的背景

ペストは14世紀の黒死病以降、ヨーロッパで繰り返し流行していた。1625年にもロンドンで大流行があり、1665年の流行はオランダからの交易船を介して持ち込まれたとされる。第二次英蘭戦争(1665-67年)の最中であり、戦時下の混乱が対策を困難にした。医学的にはまだ瘴気説が支配的で、効果的な治療法や予防策は存在しなかった。

地形・地理的特徴

17世紀のロンドンはテムズ川沿いに発展した人口約46万人の大都市で、ロンドン城壁内外に木造建築が密集していた。狭い路地、不十分な下水設備、家畜との共生空間がネズミとノミの繁殖に最適な環境を提供した。テムズ川を通じた交易が病原体の流入経路となり、貧困地区のセント・ジャイルズ教区から裕福な市内各地へ拡大した。

歴史的重要性

ロンドンのペスト大流行はイングランド最後の大規模なペスト流行であった。翌1666年のロンドン大火がネズミの生息環境を焼き払い、以後イングランドではペストの大流行は発生しなかった。サミュエル・ピープスの日記やダニエル・デフォーの『ペストの年の日記』は、疫病下の市民生活を記録した貴重な文学的資料となった。

参考文献

  • Daniel Defoe『A Journal of the Plague Year』(1722)
  • Samuel Pepys『The Diary of Samuel Pepys』