概要
紀元前1046年頃、周の武王が殷の紂王を牧野の戦いで破り、殷王朝を滅ぼした。紂王は酒池肉林の暴虐な君主とされ、武王は「天命」の移転を宣言して殷討伐を正当化した。殷軍の兵士は戦意を喪失し寝返ったとされる。紂王は鹿台で自焚した。
歴史的背景
殷王朝末期は紂王の暴政により人心が離反していた。周の文王は徳治によって諸侯の支持を集め、武王の代に武力討伐を実行した。太公望呂尚が軍事顧問として活躍したとされる。
地形・地理的特徴
牧野は殷の都・朝歌の南方の広大な平原。周軍は渭水流域の関中盆地から東進し、華北平原で殷の大軍と激突した。周は西方の渭水盆地を根拠地とし、戦略的に東方の殷を攻撃した。
歴史的重要性
中国政治思想の根幹をなす「天命」思想の起源。有徳の者が天命を受けて王朝を開くという革命論は、以後の中国の王朝交替の論理的基盤となった。周公旦の礼楽制度制定は儒教の制度的起源。
参考文献
- 『史記』殷本紀・周本紀
- 『尚書』牧誓篇